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経過した時間より到達した質に意味がある。イーヴォ・ポゴレリッチが語る、コロナ禍と音楽

去る1月、ピアニストのイーヴォ・ポゴレリッチが3年ぶりに来日。彼を予選で落とすなら私は審査員から降りるとピアニストのマルタ・アルゲリッチに言わしめた(そして実際に降りた)衝撃の1980年のショパン・コンクールから40年が経過し、昨年には約四半世紀ぶりにショパンのアルバムをリリース。そこからの楽曲を含む、オールショパンプログラムの公演を開催した。「自分にとって日本という国は人生の中でも格別なところ」というマエストロが語る、今日の音楽。

photo: Kazuho Maruo / text: Kensuke Yamamoto

2021年の来日公演は直前で中止になってしまったこともあり、3年ぶりとなった今回の来日公演。少し風邪気味なんです、と言いながらゆっくりとした口調で語り始めた。

巨匠が見つめる自身の今と、コロナ後の世界

久しぶりの来日になりますが、自分にとって日本という国は格別なところなんです。東京に住んでいる方がどれだけそう感じるかわかりませんが、我々外国人にとっては来るたびに何か新しいものを発見できるところです。

昨年リリースのアルバムでは、ショパンは約四半世紀ぶりと、久しぶりの録音になりましたが、私はほかのアーティストとはちょっと違う時間の捉え方をしているかもしれません。何年かかったかというのはあまり意味を持たないことで、経過した時間よりも到達した質そのものに意味があるんです。

私が初めてステージに立ったのは9歳の頃でした。以来、常に音程、和音、構造、旋律など、さまざまな側面から音楽と向き合い、和声の変化、メロディなど、さまざまなアプローチを取り入れようとしてきました。それは時間がかかることなんです。私が行うことを記録することで、何かを示せると思えた時がレコーディングのタイミングであり、アルバムは、私が楽器から何を得ることができたのかについての記録ともいえます。

イーヴォ・ポゴレリッチ

コロナの影響で音楽に変化があったかというとそうでもないのですが、人々は変わりました。すぐにではないでしょうが、数年後にはクラシック音楽の重要性が増してくるのではと思っています。皆、電子機器経由のコミュニケーションに飽き飽きしていますよね。

人間は最終的にはデジタルではなくリアルに何かをしたいと思うものです。今はまだ兆ししか見えないかもしれませんが、そういった波が始まりつつあると思います。なぜなら、人々は実際に対面で会う必要があるからです。一緒にいること、一緒にレストランに行くこと、もちろん、オペラやバレエ、コンサートに行くことも重要なことです。多くの人がそう感じる時が必ず来ると思います。