DAY.4:ザンクト・ガレン、ハーブオイルのレシピが眠る修道院へ
怒涛のスイスアルプストレッキングを終えて、次に向かったのはドイツとの国境に近いスイス北東部の街、ザンクト・ガレン。最大の目的は旧市街の中心に立つザンクト・ガレン修道院を訪れることだった。
修道院の前身は612年、伝道の旅の途中で病に倒れたアイルランド人修道士ガルスがこの地に立てた小さな庵だったそう。720年にその跡地に修道院が建てられ、彼の名前にちなんでザンクト(聖)・ガレンと名付けられた。
中世の修道院には、祈りを捧げる教会のほか、付属図書館、ビール醸造所のほか、診療所や薬草園がつくられており、医学・薬学・植物学の研究でも知られていたという。
ザンクト・ガレン修道院の9世紀当時の設計図には薬草園が記されていて、何を隠そう僕が愛用している〈nahrin〉のハーブオイルは、この修道院から生まれたレシピを基に作られている。あの素晴らしいプロダクトがどんな場所で生まれたのか、肌身で感じてみたかったのだ。
ザンクト・ガレンの街はとても穏やかで、静かだった。修道院が世界遺産に登録されていることもあって、世界中から観光客が訪れるのだが、この日はちょうど日曜日。旧市街の多くの店は定休日で、人の姿はまばらだ。
日本人の感覚からすると、休日こそかきいれどきと思ってしまうが、きっとこの街の人々にとって、休日は家族や友人と過ごす大切な時間なのだろう。そんな生き方は、とても素敵だと思う。
修道院を訪れる前に、もう少しザンクト・ガレンの街を知りたいと思った。どこを旅する時でも、僕は時間が許す限り、その街の成り立ちや歴史、自然、文化について学べる施設に足を運ぶようにしている。
ザンクト・ガレンは修道院を中心に発展した街だけれど、同時に「繊維の街」でもある。8世紀にはすでに麻や亜麻織物産業が始まり、19世紀になると精緻な刺繍やレースの産地として栄えたと言われている。
旧市街にはそうした歴史を伝える〈ザンクト・ガレン織物博物館〉があるということで、まずはそこを訪れてみることにした。
ここが想像以上に面白いミュージアムで、またしても時間が足りなかった(笑)。ザンクト・ガレン地域のテキスタイル産業の歴史を紹介する常設展では、かつて使われていた織機や編み物道具などが展示してあり、さらに古い型絵や図案などの貴重なコレクションを見ることができる。中でも20世紀初頭にはすでに世界中から注目を集めていたというレースや刺繍、ビーズワークが美しく、しばし見入ってしまった。
さらにすごいのは企画展で、僕が訪れた時は、「100 Shades of White」と題した「白い服」をテーマにした展覧会が行われていた。
思えば白い服は、洗礼式や結婚式など宗教的な儀式に欠かせない。日本では死者も白い服をまとって旅立つ。同時に社交の場やスポーツ、仕事のユニフォームにも使われるし、衛生の歴史とも密接な関係がある。
喜びや純潔、平和、そして死。「白い服」が象徴するもの、担う役割とはどういうものなのか。それをファッションの歴史や文化を通して考え直すという意欲的な展示で、これはぜひ再訪して別の企画展も見てみたい!と思わずにいられなかった。
そして、ついに念願のザンクト・ガレン修道院へ足を踏み入れる時が来た。
現在は修道院としては機能していないが、敷地の中央にはザンクト・ガレン大聖堂(旧修道院教会)が堂々たる姿で立っていて、かつてここが祈りの場であったことを肌身で感じる。
バロック様式の傑作といわれる大聖堂は内部も見学できて、ドーム型の天井に描かれたフレスコ画は圧巻のひとこと。僕が訪れたのは日中だったけれど、朝や夜は、より静謐な時間が流れているのだろうと想像した。
次に向かったのは付属図書館。ここは8世紀に創設されたスイス最古の図書館で、かつて学問の総本山として中世ヨーロッパにその名を轟かせていたザンクト・ガレン修道院の「知」を今に伝える場所だ。
ホールに入ると、大げさでなく中世にタイムスリップしたような気分になった。時を経て、飴色になった木製の本棚が天井までぎっしりと立ち並び、その中には1000年以上前に人の手によって書かれたものもある。
医学や薬学、天文学、建築学……。今、僕たちが当たり前のように受けている「知」の恩恵は、気の遠くなるような知恵や知識のバトンがつながった先にあるのだと、改めて感じた。そして書物というものが、何より大きな役割を果たしてきたのだということも。
この図書館には17万冊を超える蔵書があり、驚くべきは、そのほとんどが今でも読める状態を保っていて、申請すれば閲覧室で読むことができるということ。中世から続く「知」のバトンリレーは、今も続いているのだ。
修道院を後にして、改めて自分が20代の頃から愛用してきた〈nahrin〉のハーブオイルの香りを感じてみる。これもまたザンクト・ガレン修道院が残した「知」を多くの人が引き継いだからこそ、今、自分のもとにある。そう思うと、これまで以上にかけがえのないものに思えてくる。
僕にとってこのハーブオイルは、ただ「いい香り」であるだけでなく、心を鎮め、深く自分と向き合うことを助けてくれるような存在だ。まだ今のような医薬品がなかった時代、30種類以上のハーブを調合し、このレシピを作った人々は、膨大な植物の知識を集め、研究し、誰かを癒やすために心血を注いだことだろう。
僕もまた、自分で香りを作る仕事を始めて以来、そんなふうに誰かを癒やせるようなものを作りたいと思ってきた。もちろんザンクト・ガレン修道院の方々には足元にも及ばないけれど、改めてより深く、真摯に香りと向き合っていきたいと心から思えた体験だった。ここまで来て、本当によかった。
明日は、〈nahrin〉の本社があるザルネンへ移動する予定。どんな人々が、どのような気持ちであの素晴らしい香りを作っているのか、ぜひ会って、いろいろと聞いてみたいと思っている。