“わからない”の先に、想像が生まれる
「監督を始めるきっかけの一つに坂口健太郎を撮りたいという思いがありました。俳優としての彼が持つ透明感と少し歪みのある美しい造形に惹かれていて。それらが最も生きる形で活写したかったんです」
坂口さんを当て書きした主人公の未山が持つのは、目に見えない「誰か」の思いを感じ取ることができる不思議な力。それを携え体や心の不和を訴える人々を癒やしていく静かな暮らしのなかで、自らの過去と向き合っていくというのが筋書きだ。
「坂口くんにも伝えたことですが、未山というキャラクターは主人公ではあるけれど心の内が観てくれた方に伝わることが重要なわけではないと思っています。日本映画って、いかに共感できる登場人物を描くかが重要視される場合が多い気がするんですが、私自身は、簡単には理解できない登場人物を描いた作品の方が好きで。モヤがかかった未山の像が、周囲の言動や表情、そして観客一人一人の想像によって立ち上がっていけばいいなと思います」
そしてさらに観る者の想像力を掻き立てるのが、絵画のように端正で、童話のように幻想的な映像だ。
「殺風景な未山の世界を中心に、過去と対峙する場面では影を取り入れ、市川実日子さん演じる恋人・詩織の家には生命力を感じさせる明るい光をちりばめました。光と影の表現は意識的に取り組みましたね」
入口は、小道具の仕事
画作りに滲み出る芸術的な感性は、元は美術スタッフとして映画業界に飛び込んだことからも説明がつく。脚本の道に進んだのは、小道具として参加した仕事で知り合った行定勲監督の誘いがきっかけだった。以降飛躍を遂げた背景には「現場経験が生きた」と彼女は振り返る。
「小道具って、脚本を読んで、この人ならどの飲み物を選ぶか、どんな腕時計を着けるのかと考える。“行間”を読んでものを用意する仕事です。その経験が物語を描くうえでの想像力を育んでくれた気がしますね」
脚本家としてのキャリアを積み重ねるなかでは、10代の頃から憧れていた小説執筆の依頼も訪れた。しかし順風満帆な書き仕事とは裏腹に、漠然とした不安も抱くようになった。
「脚本仕事と並行して進めていたのが小説『ひとりぼっちじゃない』の執筆です。日記形式で、しかも書き上げるまでに10年ほどかかったこともあり、登場人物の目線で物事を見る癖がついてしまった。本来の自分がどんなふうにものを考えるのかを見失っていったんです。しかも仕事に追われて家に籠もる日々で、関わる人もごく一部。このままだと物語の幅が狭まってしまうとふと不安になって。ならば無理やりコミュニケーションに放り込まれる仕事をやってみようと。それが監督でした」
2作を撮り終え、「監督は想像以上に、いつも誰かと話す仕事だった(笑)」と伊藤さんは振り返る。
「一人ではなく、皆で一緒に答えを見つけていく有意義さを知ることができたので、もっと挑戦してみたいなと。いずれその経験が、また小説を書く原動力にもなればいいですね」