Think

アートの旅は終わらない。大阪・関西万博イタリア館の名作が語りかけること

多くの来場者に驚きを与えた大阪・関西万博のイタリア館で展示された名作たち。その作品の背景には何があり、私たちに何を訴えかけるのか。鑑賞できた名作の中から、5点を厳選して紹介する。

text: wakapedia

2025年4月13日から10月13日まで開催された大阪・関西万博は、多くの来場者に感動と発見をもたらしながら、惜しまれつつ幕を閉じた。各国が未来へのビジョンを描く中で、ひときわ注目を集めたのがイタリア館である。その人気は圧倒的で、抽選は連日激戦。

「ピザやパスタが目当て?」と軽く見ていた者も、実際の理由を知れば驚いたはず。本場の食文化はもちろんのこと、普段なかなか触れる機会のない、ルネサンスの魂が息づく本物の芸術までが披露されたのだ。

展示テーマは「アートはいのちを再生する(L’Arte Rigenera la Vita)」。その理念を背景に、イタリア館にはミケランジェロ、カラヴァッジョ、レオナルド・ダ・ヴィンチらによる、イタリア各地の国宝級アートが集められた。ウフィツィ美術館も羨むほどの名品が並び、バチカンからの特別貸し出し作品も登場。大阪にいながら、フィレンツェやローマの美術館を巡るような濃密な時間が広がっていた。

実際に訪れた人はもちろん、行けなかった人にとっても、この展示は記憶に残る芸術体験として語り継がれていくだろう。むしろ、そこから始まる「その先」こそが、本当の鑑賞の旅なのかもしれない。今回は、イタリア館で鑑賞できた名作の中から、5点を厳選して紹介する。作品を通して、未来を描くヒントを探してみたい。

ドメニコ・ティントレットの『伊東マンショの肖像画』に描かれた未来へのまなざし

伊東マンショの肖像を描いたのは、ヴェネツィアの画家ドメニコ・ティントレット。彼の父ヤコポ・ティントレットは、染物職人の家に生まれたことから「ティントレット(染物店の息子)」の名で知られ、庶民の出ながらも国家に認められる画家として名声を築いた。父が立ち上げた工房を継いだドメニコは、東洋から訪れた若き使節の姿をキャンバスに残した。

伊東マンショ。名前だけ聞けば、若手芸人のようにも思えるかもしれない。だが彼は、16世紀の日本から世界へと旅立ち、グローバル化の原点に立った人物である。その姿は、ヴェネツィアの画家、ティントレットの工房で、肖像画として永遠に刻まれた。

マンショは、九州のキリシタン大名に選ばれた若き使節団「天正遣欧少年使節」の一員として長崎を出発。ローマでは教皇に謁し、ヨーロッパ各地で熱烈な歓迎を受けた。その旅の途中、ヴェネツィアでは元首ニッコロ・ダ・ポンテの招きにより、礼拝堂や公共建築に壮麗な絵画を数多く残したヤコポ・ティントレットの工房を訪れ、息子ドメニコによって彼の肖像が描かれた。

マンショは、異国の地でただ「見られる日本人」ではなく、自らの言葉で文化や信仰を語り、対話を試みる「語る日本人」として世界と向き合った。インターネットも電話もない時代、命の保証もないまま海を渡り、信仰心を胸に、同じ言語で語り合うためにラテン語を学んだ若者たち。彼らは、見知らぬ世界に対して受け身ではなく、言葉を持って立ち向かおうとしたのだ。その眼差しには、異文化の交差点に立ち、未来を見つめる意志が宿っている。

500年前の若者が世界と対話しようとしたその姿は、今を生きる私たちにも問いかけてくる。「あなたは、世界とどう向き合いますか?」と。

ボッチョーニの『空間における連続性の唯一の形態』が導く新世界への扉

未来派の芸術家ウンベルト・ボッチョーニが、動きと空間の連続性を形にした代表作。人体のフォルムは分解され、力の流れとして再構成されている。

イタリアの芸術家ウンベルト・ボッチョーニが1913年に制作した『空間における連続性の唯一の形態』(Forme uniche della continuità nello spazio)。筋肉がしなり、風を切るようなフォルムは、まるで一連の動作そのものを捉えたかのようだ。静止しているのに、動きが見える。それがこの作品の魅力である。

彫刻は古代から存在する芸術形式だが、ボッチョーニはそれを未来派の思想と結びつけ、まったく新しい表現領域へと押し広げた。彼は、スピード、機械、都市のエネルギーといった現代的なテーマを、絵画ではなく彫刻によって形にしようとした。時間や動き、空間との関係性を立体的に捉えることで、未来の感覚を視覚化することを目指したのだ。そして、この作品はイタリアの20セント硬貨にも採用され、未来の象徴として広く知られている。

彼が捉えようとした未来の感覚とは、単なる技術革新や合理性ではない。それは、都市に満ちる躍動感や、人間の身体が持つリズム、空間との関係性といった、まだ完全に言語化されていない直感的な知覚であり、感性を通じて未来を予感する力でもある。

こうした感覚的な視点は、現代のAIやロボティクス、都市設計にも通じる。たとえば、AIが人間の表情や声のニュアンスを読み取る技術は、数値や論理だけでは捉えきれない感覚の世界に踏み込もうとしている。都市設計でも、人が「心地よく感じる」空間や動線は、効率性だけでなく、身体的な経験や感覚に根ざしている。

ボッチョーニの彫刻は、そうした感覚的な未来像に触れるための視覚的な入り口となる。「なんかカッコいい」「なんか動いてる」「なんか気になる」。そんな感覚こそが、未来への第一歩なのかもしれない。

カラヴァッジョ『キリストの埋葬』が私たちに教えてくれる「人間らしさ」とは?

「カラヴァッジョによる『キリストの埋葬』。バロック特有の明暗法と写実的な人物描写によって、死と哀悼の瞬間が圧倒的な臨場感で描かれている。

イタリアの画家カラヴァッジョが1602〜1604年に描いた『キリストの埋葬』(Deposizione)。バロック美術の先駆者とされる彼は、理想化された聖人像ではなく、現実の中に生きる人間の姿を描いた。モデルとなったのは街の人々や貧しい者たち。汚れた足、疲れた表情、神聖さよりも生活感が前面に出ている。

この作品では、キリストの遺体が地面すれすれに描かれ、死の重みと冷たさが画面から伝わってくる。光と影の演出は、まるで舞台のスポットライトのように感情を際立たせ、後のベラスケスやレンブラントにも影響を与えた。

カラヴァッジョ自身もまた、波乱に満ちた人生を歩んだ。喧嘩、逃亡、殺人、その激しい生き様の中で、彼は次々と傑作を生み出した。バロックの傑作『キリストの埋葬』はその劇的な構図と写実的な表現から、芸術を権威の象徴と捉えていたナポレオンの関心を引いたが、現在は、この作品はバチカン美術館に所蔵されている。

修復作業中には、キャンバスの裏側からラテン語による謎めいた一文が発見された。「Ne Iacobus videat neque de hoc loquetur(ヤコポがこの作品を見ず、語らぬように)」と記されており、その横には血痕を思わせる長い線が添えられていた。この言葉の意味はいまだ明らかになっておらず、カラヴァッジョにとって極めて重要な意図が込められていた可能性があるとして、研究者たちの間で大きな関心を集めている。


この作品は、SNS時代に見失われがちな「人間の本質」を思い出させてくれる。加工された感情ではなく、苦しみや悲しみ、祈りといった生々しい感情に触れることで、私たちは本来の「人間らしさ」に立ち返ることができる。カラヴァッジョの絵は、そんな問いを投げかけてくるのだ。

レオナルド・ダ・ヴィンチの『アトランティコ手稿』が語る創造力の連続性

飛行、機械、幾何学、都市設計。ダ・ヴィンチの脳内を覗き見る、知の迷宮『アトランティコ手稿』。この膨大なアイデアが詰まったダ・ヴィンチの手稿の一部が、2025年10月25日から2026年1月12日まで大阪市立美術館で開催される特別展「天空のアトラス イタリア館の至宝」にて再び公開される。

レオナルド・ダ・ヴィンチといえば『モナ・リザ』で知られるルネサンスの巨匠だが、それは彼の一面にすぎない。芸術家でありながら、科学者、技術者、哲学者でもあった彼は、人体の構造を解剖し、飛行機やロボットの設計図まで描いていた。そんな彼の40年分のアイデアが詰め込まれたのが『アトランティコ手稿』(Codice Atlantico)である。

この手稿には、当時の技術では到底実現できなかった未来の構想が並ぶ。ダ・ヴィンチは「まだ存在しないものをどう作るか」を考え続けた。その姿勢は、AIやロボティクス、サステナブル技術など、現代の課題に向き合う私たちの姿とも重なる。

『アトランティコ手稿』の魅力は、芸術・科学・哲学・技術が交差する横断的な発想にある。そして何より、この手稿は完成された作品ではなく、思考の途中がそのまま残されている点に深い意義がある。ダ・ヴィンチにとって創造とは、答えを出すことだけでなく、問い続けることそのものだった。

未来は、技術だけでなく、人間の感性と創造力、そして過去からの学びによって形づくられる。だからこそ、500年前のこの手稿が今、万博で展示されたことには大きな意味がある。それは、「未来はすでに誰かが考え始めていた」という証しであり、「今の私たちも、その続きを描いている」という気づきを与えてくれる。


幻のミケランジェロ作品『復活したキリスト』と未完成の美

ミケランジェロによる幻の彫像『復活したキリスト』。美術を学んだイタリア人でさえ目にする機会がほとんどない、極めて貴重な作品。

イタリア館のなかでも特筆すべきが、ミケランジェロによる彫刻『復活したキリスト』(Il Cristo Risorto)。普段はローマ近郊の教会に静かに置かれている、一般にはあまり知られていない貴重な作品だ。

この像は1514年に制作が始まったが、キリストの顔に黒い筋が入ったことをきっかけに、完璧を追求するミケランジェロは制作を中断。その後、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニが手を加えたとされ、二人の巨匠による「間接的な共作」とも言われている。

『復活したキリスト』は、苦しみと救済を象徴する作品であると同時に、「未完成」という状態そのものが創造の一部として存在している。完成を目指す過程で止まったその姿は、むしろ問いを投げかける力を持っている。

AIが精密な造形を量産できる時代だからこそ、ミケランジェロの作品は私たちに問いかける。「美とは何か」「創造とは何か」。未完成であることに意味があるとすれば、それは、考え続けることの価値を示しているのかもしれない。

この像の前に立つとき、私たちはただ鑑賞するだけでなく、創造の本質に向き合うことになる。

問い続ける者たちへ

ルネサンス初期を代表する画家ペルジーノが描いた宗教画、『正義の旗』(Gonfalone della Giustizia)。聖母子と天使、聖フランチェスコらが登場し、神の慈悲と人間の救済を祈願する場面が表現されている。罪を悔い改める者に差し伸べられる「正義と赦し」の象徴として、ウンブリア地方の宗教儀式で用いられた。イタリア国外初公開。2025年10月25日から2026年1月12日まで大阪市立美術館で開催される特別展「天空のアトラス イタリア館の至宝」にて公開が予定されている。

大阪・関西万博でイタリア館が注目されたのは、そこが単なる美術鑑賞の場ではなかったからだ。「完成とは何か」「創造とは何か」という根源的な問いが、展示全体に込められていた。

展示されていたのは、完成された美だけではない。制作が途中で止まった彫像、異文化の交差点に立つ肖像、未来を予見する手稿、そして人間の本質に迫る絵画。それぞれの作品が、私たちの思考を揺さぶり、感性に働きかけてくる。

これらの芸術や発明を生み出したのは、かつては名もなき若者だった偉人たちだ。彼らは、自らの手で世界を描き、未来を形にしてきた。その軌跡は、「あなたにもできる」というメッセージとして、今を生きる私たちに届いてくる。

未来を創る力は、特別な誰かのものではない。誰の中にも眠っている可能性であり、問いかけでもある。その気づきこそが、展示の余白に込められたもうひとつのテーマなのかもしれない。芸術は、未来を考えるための入り口となる。そしてその先に、どんな風景を描くか。それは、私たち一人ひとりの選択に委ねられている。