実は30歳を過ぎて、俺どうしたらいいんだろうって、就職活動をしたことがある。夏なのに冬物のスーツを着て、汗まみれで。平和島の潰れた喫茶店みたいなところで面接して、受かっていたら今ごろ何をしていたんだろう?銀座の小さな広告代理店のコピーライターに応募したときには、その事務所の本棚に深沢七郎の本が置いてあったのを覚えている。深沢七郎も愛読していたけれど、苦しい時期に読んで、助けられていたのがこの3冊。
『無能の人・日の戯れ』
特につげ義春『無能の人』は、マンガ内で描かれる土地が出身地だったこともあって、まるで“逃げ場”のようだった。多摩川で拾った石を売る男の話。その河川敷が、中学生のときにマラソン大会で走る場所だった。悪いふうに言っちゃえば、下には下があるというか。でも、つげさんのすごいのは、下品ではないところ。
まさに詩情を感じてしまう。“無能さん”の奥さんが働いている競輪場にもよく通っていた。そこで飲み放題のジュースを紙コップをすぼめて水筒に入れているオッサンたちのことを横目で見ながら、俺は違うんだ違うんだって。でも、このままじゃヤバいって半分くらい思ってる。自意識があった分、質が悪い。
『詩人と女たち』
ブコウスキーの『詩人と女たち』は、女と会ってやりまくるっていうだけの話なんだけど、でも常に情けない間抜けな結果が紛れ込んでいる。そこがよかった。えげつないことを言っているのに、下品ではない。いや、下品だと思って読んだら下品な本なんだけど。つげさんにも共通するけれど、これで笑わせてやろうっていうんじゃなくて人間的なユーモアがあるから、それが品性になっているというか。
ブコウスキーは50歳まで郵便局で働く一方で、ずっと詩や小説を書き続けたからこそ、モテなかった自分自身に復讐できた。ブコウスキーのドキュメンタリー映画を観ると、最初の妻は首の回らない女で、本当に「えっ、この人と?」っていうくらい強烈な女性。2番目の妻には、ひげが生えていた。でもこの本にも登場する50を過ぎて結婚した3番目の妻は、とても美人だった。ブコウスキーは、若い頃の自分を完全に超えたんだ。
『抹香町・路傍』
坪内祐三さんが何かのエッセイで、「日本にもブコウスキーがいるじゃないか」と書いていたのが、川崎長太郎。小田原の小屋に住んで、ミカン箱で小説を書いていたオッサンは、この『抹香町』のときが、ブコウスキーと同じ50歳。朝起きて、することないから1時間以上も歩いて、健康のために気を使ったり、娼婦のところへ行ったりするだけの話。
「『性欲は困る。』『全く困るなあ。』と、誰に言うともなし、そんな口こごとを、ぶつぶつ噛みながら、大通りの方へ歩いて行った」
こんな毎日(笑)。つげさんが川崎長太郎のことを好きなのもわかる気がする。ブコウスキーも長太郎も、書くことをずっとやめないっていうのがすごい。就職しないんだったら、やめないものを見つけたらどうだろうと思います。俺は日和って就職しようとしたことがあるから、そんなヤツに言われたくねーよって感じだと思うけど。
でも、この人たちは怠け者では決してない。“無能さん”は「ぐうたら能なしのくせに」と妻には罵られつつも、いつも何かしら動き回っている。ブコウスキーは女に対して絶対に怠けないし、長太郎も山だ海だと歩き回っている。とても範囲は狭いけど、動き続けている。まるで、いつか発火するのを待つように。就職しなくても大丈夫。
でも、たとえ狭い範囲でも、部屋の中にいたとしても、グルグルと回り続けた方がいい。なりたくても絶対になれないけれど、石を売るような生活は絶対したくないっていう点も含めて、支えになってくれる本だと思う。