いま、失われゆく昭和の店に、
惹かれるのはなぜだろう。
難波里奈
純喫茶のイベントをやると、昭和を経験していない、20代の女性がすごく多いんです。
井川直子
料理の世界でも同じ。若いシェフたちがそうした店に刺激を受けています。
難波
いまはネットも携帯電話もあって、家から一歩も出なくても暮らせる時代ですけれど、喫茶店に来て、誰かと顔を合わせておしゃべりしながら、コーヒーを飲む楽しさは特別だと思うのです。
井川
私は、人を休ませるのは、“余白”だと思っています。昭和の時代の音楽をいま聴くと、すごくスローテンポですよね。でも、そのゆっくりした間合いやテンポに逆に魅力を感じているのではないかなぁ。高度成長期以降、日本全体が大きいもの、早いもの、便利なものを求めるようになっていく中で、失われてきたものが、あるからだと思うんですよ。
難波
そこに、若い世代が尊敬できるものを感じているのでしょうね。
井川
例えば、空間一つとっても、昔の人は、なくてもいい装飾を、お金をかけてこしらえるわけです。
難波
コーヒーを飲みに来てもらった人たちに、自宅では味わえないような豪華な空間を、というもてなしの心を感じますよね。(店の手すりを撫でながら)これもいい木でできていますものね。
井川
天井のカーブとか、この椅子も!
難波
実は私は、昭和のインテリアが好きで、それをきっかけに喫茶店に通うようになったんです。コーヒー1杯の値段でお邪魔できる博物館みたいだなって。
井川
まさに、そうですね。
難波
でも、通ううちに、接客にも惹かれるようになりました。私のよく行く喫茶店のマスターは、事故で肋骨を折った時でさえ、午後から店に出てくるんですよ。お客さんが待っているからって。
井川
取材した喫茶店の店主も、“店を開けることは、お客様との約束だ”と。長く続いている店の方って、一日入魂。いつになっても、開店初日のような気持ちでやっている。いまの人が憧れるのは、そういう生真面目さなのかなぁ。
難波
感情に流されず、毎日をフラットに生きる力にただ刺激を受けます。
井川
近年は、店主の個人名で勝負するレストランが増えて、看板を継いでいくっていう店が少ない。でも、東京・東十条の〈埼玉屋〉は、孫子の代まで100年続けるつもりで名づけたって。覚悟というより、暖簾を掲げる以上、それが当たり前だという感覚ですよね。
難波
井川さんの本にもあって共感したのですが、長く続いている店は、変わっていないようでいて、実は時代に寄り添うように、マイナーチェンジをしていますよね。喫茶店も、まさにそうなんです。
井川
東京・湯島の居酒屋〈シンスケ〉は、「客層は10年で変わる」と言っていて、変わらない店と言われるために、変わり続けているんですよね。
難波
見えない努力ですよね。
井川
私が昭和の店のことを書こうと思ったのは、お店がなくなったとしても、そうしたスピリットだけでも、受け止めてもらえたらと思ったから。頼もしいのは、それを難波さんたちの世代が受け止めようとしてくれていること。
難波
お店が閉まってしまうことは悲しいのですが、そこには皆、それぞれ事情があるので仕方がない。だから、あるうちに悔いがないように通おうと思って。私は、喫茶店であればどんな状況でも扉を開けることができるのですが、酒場にはまだ入りにくいところもあって……。
井川
そうかもしれないですね。でも、大先輩たちのルールは、自分たちとは違うということを覚えておいて、“お邪魔します”っていう気持ちで行けば、だいたいクリアできる。白木のカウンターに、携帯電話を無造作に置いたら、コラッと怒られることもあるかもしれないけれど。
難波
そうしたら、「すみません」と謝って、次から気をつければいいですよね。
井川
そう。それが面倒くさいからって、行かないのはもったいない。そこには、自分たちの行く店とはまた違う世界が広がっているので。そういうルールを知ることもまた、楽しいんじゃないかな。