小泉八雲旧居(島根/松江市)
文学
『怪談』の著者が愛した武家屋敷
「耳なし芳一」「雪女」……怪談といえば誰もが思い浮かべるであろう物語の作者、小泉八雲。『古事記』を読んだことから日本に興味を持ち、1890年に来日。日本での14年間、各地で英語教師をしながら執筆活動をして過ごし、紀行文、随筆など約30の著作を遺した。そんな八雲と、妻のセツが暮らした武家屋敷が島根県の松江に今も残る。セツは八雲に、日本の昔話や伝説を語って聞かせ、それが八雲の作品のモチーフになった。そんな2人の創作の様子が垣間見える場所だ。セツは2025年秋のNHK連続テレビ小説の主人公のモデルにもなっている。
新宿区立林芙美子記念館(東京/中井)
文学

小説家が丹精込めて創り上げた、終(つい)の住処(すみか)
小説『放浪記』や『浮雲』の著者、林芙美子が晩年の10年間を過ごした住居。設計は建築家・山口文象による。林自身も構想段階で建築を学び、設計士や大工らとともに京都の建物を視察に行くなど、格別の思いを込めて造った私邸だ。料理が得意だった彼女が集めていた食器が当時のまま残り、庭には、自ら買い求め、育てていたザクロやカルミアが。書斎からは彼女が愛した竹も眺めることができる。
濱田庄司記念益子参考館(栃木/益子町)
民藝

人間国宝の陶芸家が蒐集した、創造の種
柳宗悦や河井寛次郎らとともに民藝運動を推進した人物であり、日本陶芸界を代表する陶芸家・濱田庄司。濱田が長い年月をかけて蒐集(しゅうしゅう)した工芸品を展示する美術館は、彼の自宅の一部を活用し開館。収蔵品は、自身の作品が負けたと感じた時に記念として手元に置き、制作の糧としていたもの。工芸家をはじめとする愛好家たちに共有することで、創作の「参考」にしてほしいという思いが込められている。
芹沢銈介の家(静岡市立芹沢銈介美術館)(静岡/静岡市)
民藝

染色界の重鎮が愛したのは平凡な住処
「ぼくの家は、農夫のように平凡で、農夫のように健康です」。染色家・芹沢銈介が、そう語り、愛着を持って暮らした住居は、宮城県の登米市にあった板倉建築の住居を東京の蒲田へ移築し、芹沢が自ら改築したものだ。当時は、世界各国で蒐集した家具や工芸品で溢れており、客人をもてなす際は、その人に合わせた模様替えも楽しんでいたそう。作品の構想や紙型を彫るなど創作の場でもあった。
塩谷定好写真記念館(鳥取/琴浦町)
写真

世界的写真家が愛した故郷の風景と生家
山陰地方の自然や人を撮り続け、国内外で評価された写真家、塩谷定好。写真界の巨匠・植田正治が、「神のような存在」と慕った、日本の芸術写真分野におけるパイオニア的な存在だ。明治時代からの商家であった定好の生家を改修した記念館では、作品とともに、生前の愛用品も展示。ミニライブなど町内の人による持ち込み企画も開催。定好が愛した故郷の文化活動を発信する場としても活用されている。
岡本太郎記念館(東京/表参道)
美術

エネルギーに満ちた芸術家の爆発は今もなお
1970年に開催された大阪万博のシンボル《太陽の塔》や、渋谷の巨大壁画《明日の神話》などで知られる岡本太郎。彼が42年間を過ごし、制作をし続けたアトリエを改築。生涯のパートナーであった岡本敏子が「戦闘基地」と呼んだこの場所で、太郎は美術界を挑発するさまざまな作品を生んだ。その膨大なデッサンやエスキース、彫刻、資料の山から、太郎のエネルギー、そして戦後のうねりを伝え続けている。
台東区立朝倉彫塑館(東京/日暮里)
美術

猫と自然を愛した彫刻家の学び舎
早稲田大学にある《大隈重信像》を手がけた彫刻家・朝倉文夫のアトリエ兼住居。8.5mの天高と壁の曲面が特徴的なコンクリート造のアトリエと数寄屋造の住居で構成。中央には水音が心地よく響く“五典の池”。朝倉はここで、学費が払えず美術学校に通えない学生のための〈朝倉彫塑塾〉を開校。「植物を育てることは自然を見る目を養うことに通じる」と考え、屋上庭園では園芸の実習を行っていた。
中村正義の美術館(神奈川/川崎市)
美術

「日本画壇の風雲児」。その家族が守り継ぐ美術館
異端的な作風から「反骨の画家」とも呼ばれた日本画家・中村正義。代表作は、膠(にかわ)の代わりにボンドを使用し、岩絵具と蛍光塗料を混ぜた絵具で描かれた《顔》シリーズ。「人間の顔は精神の象徴である」と語り、顔を描くことで自己と向き合い続けた。52歳までの16年を過ごしたこの住居は、「正義の多くの作品を見てほしい」という遺族の思いが込められた美術館となっている。
山口蓬春記念館(神奈川/葉山町)
美術

新日本画を追求した作家と世代を超えた建築家の融合
伝統的な日本画を探求しながら、ジョルジュ・ブラックやアンリ・マティスらの作品に見られるフランス近代絵画の解釈も取り入れ、モダンな作品を残した日本画家・山口蓬春の自邸。蓬春が「ライカ」一式を売却し手に入れたといわれる建物に、建築家・吉田五十八が画室部分などを増築。蓬春の没後は、建築家・大江匡(ただす)により改築され、記念館となった。今でも庭には、彼が描いていた四季折々の花が咲く。
村井正誠記念美術館(東京/等々力)
美術
「抽象絵画のパイオニア」、その記憶が息づく美術館
切り紙を模した面と、おおらかな線で街や人を描き、日本画壇に新しい風を吹き込んだ洋画家・村井正誠。その記念館は版画やオブジェ、素描といった、村井の多彩な創作活動の欠片と蒐集品の数々が並び、まるで宝箱のような空間だ。建物や什器(じゅうき)は彼が60年間過ごした住居の素材を生かし、建築家の隈研吾が設計。外壁の装飾には野地板を使用し、アトリエ部分を内包する。ケヤキ、イチョウ、タイサンボクなど、村井の生前より旧宅に生育する大きな樹木に囲まれる記念館には、彼の暮らしの記憶が息づく。2025年は開館20年、そして村井の生誕120年という節目の年となる。