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とんかつの名店、御徒町〈蓬萊屋〉。小津安二郎が愛してやまなかった 元祖ヒレカツ店

大正元年創業のヒレカツ発祥店を、中国から来た養女が受け継いだ!

photo: Taro Hirano / text: Michiko Watanabe

小津安二郎が愛してやまなかった
元祖ヒレカツ店

ひれかつ
強めの焦げ色、カリッとサクッと薄い皮、しっかりと噛み応えがありつつジューシーなヒレ肉。驚くほど脂を感じない。軽い。魚沼産コシヒカリのご飯と漬物、猪口に入った味噌汁が添えられて¥3,300。
ひれかつ
強めの焦げ色、カリッとサクッと薄い皮、しっかりと噛み応えがありつつジューシーなヒレ肉。驚くほど脂を感じない。軽い。魚沼産コシヒカリのご飯と漬物、猪口に入った味噌汁が添えられて¥3,300。

とんかつは絶対ロース? ふふ、何を言ってんだか、ヒレに決まっているじゃないか。はいはい、ヒレかロースか議論は置いといてこちら〈蓬莱屋(ほうらいや)〉は大正元(1912)年創業。上野松坂屋の脇の屋台からスタートし、昭和3(1928)年、現在の場所に移転した。先代の山岡吉孝さんは先々代の娘さんの婿養子だった。

〈蓬莱屋〉は創業当初から、ヒレカツ一本に絞って展開してきた。使ってみてほしいと肉屋が持ってきたヒレ肉をカツにしたら、それが看板になった。メニューは至ってシンプル。「ひれかつ」「ひと口かつ」「串かつ」。そして、当代になってから誕生した、映画監督の小津安二郎へのオマージュとして誕生した「東京物語膳」と、お土産限定の「特選メンチカツ」。メンチといえど、ヒレ肉である。さように、ここはヒレカツ専門店なのだ。そして、小津に愛された店としても知られる。

小津が初めて〈蓬莱屋〉を訪ねたのは昭和8(1933)年のこと。それから亡くなる直前まで、入院先にヒレカツを届けさせる贔屓ぶりであった。映画にも、蓬莱屋としき店がたびたび登場する。『秋日和』では、中村伸郎演ずる田口秀三に、「松坂屋の裏のとんかつ屋にはよく行くんですがね」と言わせたり、遺作となった『秋刀魚の味』では、蓬莱屋の2階を彷彿させるとんかつ屋のセットを組み、佐田啓二演じる平山幸一と同僚の三浦に実際に蓬莱屋のカツを食べさせたり。だから、小津ファンもよく訪れる。

11時30分にが出ると次々と客が。「カツ」という字がどこにも書かれていないし、店構えにビビりそう。いえいえ、そんなことはありません。ちょっとお値段高めですが、いい店ですよ。
11時30分にが出ると次々と客が。「カツ」という字がどこにも書かれていないし、店構えにビビりそう。いえいえ、そんなことはありません。ちょっとお値段高めですが、いい店ですよ。

小津映画そのままの風情を、
今も大切に守り続ける。

当主は山岡燕芳(えんほう)さん。先代・吉孝さんが惚れ込んだ人物である。日本語で訥々(とつとつ)と語るところによれば、出身は中国・福建省。日本に来て、バイト先として選んだのが〈蓬莱屋〉だったのだが、2005年のある日、子供のいない先代夫妻から呼ばれた燕芳さん、思いもかけない要請を受ける。

「娘になってもらえないか」。これには驚いたし悩みもした。「そのとき、お父さんもお母さんも、店を継いでくれとは言わなかった。何よりも私の幸せが一番。それを願ってると言ってくれたんです。だから、おまえが幸せになる道を選んでいいんだよ、と」。先代は夫婦ともどもあまり体調がよくなかったこともあり、娘になることを決意する。日本のお父さん、お母さんは、中国の両親とも会ってくれた。以来、仕事も生活も何もかも教わった。そのうち、バイトを始めた当初、嫌いだった生キャベツも味噌汁もおいしく感じられるようになってきた。

9年前、先代のお父さんが亡くなり、後を追うようにお母さんも逝った。そして、燕芳さんが店主に。周囲の驚きは大変なものだった。「中国人が跡取りなんて!」。常連さんたちにはそう言われた。とんかつといえば、必ず名前が挙がる老舗中の老舗である。日本の食文化もよくわからない外国人になぜ? そう思った人も多かった。でも思えば先代は、エンジニアからの転身。店に入ったのは40歳を過ぎてからだ。そのプレッシャーは大変なものだったろう。言ってみれば、燕芳さんと同じエトランジェだった。齢70を越え、体調も悪い。自分が揚げ、妻がレジを打つ。そんな生活もそう長くは続かないだろうと思ったとき、異国の地で懸命に働く燕芳さんに、自分を重ねたのかもしれない。

誰よりも〈蓬莱屋〉を愛していた燕芳さんは、もちろん、店を続けることを選ぶ。どうしたら店を守れるのか。「ともかく、お父さんとお母さんがやっていた通りのことをしています」。

食材はすべて国産。揚げ油は、ラードとヘット(牛脂)を半々ぐらいにミックス。大きな竈(かまど)でガスで加熱する。鍋は3つ。一つは220℃ぐらいの高温、もう一つは170℃前後の中温。3つ目は混んできたときの補助用。高温の鍋は常に煙が上がっている。塩、コショウしたヒレ肉に粉をはたき、たっぷりの卵に漬ける。しばらく漬けておくと衣がはがれにくいのだという。パン粉は「よそよりも」細かめの生パン粉を、さらに手で軽く擦り合わせて細かくしてからつける。揚げるのは2段階。これも蓬莱屋が始めたことだという。まず、高温の鍋で外側を固め、肉汁を閉じ込める。ほんの2分ほどで、隣の中温の鍋に移し、じっくり10分ぐらいかけて火を通していく。揚がってからがユニークだ。いったん網で油を切ったあと、さらにもうワンクッション油をとってから、一人が金串で押さえ、一人がサクサクッと切っていく。

まるで庖丁式のようだが、これも昔のままである。今も昔も変わらずいい店だ。このまま大切に守り続けてほしい。そう願わずにはいられない。

〈蓬莱屋〉


住所:東京都台東区上野3-28-5|地図
TEL :03-3831-5783
営:11時30分〜13時30分LO(土・日・祝 14時LO)
  17時〜19時30分 LO
休:水曜(祝日の場合は翌木曜休)
  予約不可。

「東京物語膳」は、ひと口かつ2個、串かつ2本、ひと口ヒレメンチカツ1個、サラダ、香物、ご飯、味噌汁、デザート付きで¥2,800。「串かつ」¥2,200。