次代の“旅館”ステイと
町の素顔が伝える島の文化。
島の旅はいい。
「海を渡る」という行程を経るだけで、物理的な距離以上に、気持ちが日常から切り離されていく。船もよし、橋を渡るもまたよし。この日は車で、広島県側からしまなみ海道(西瀬戸自動車道)で生口島に入った。2021年3月に開業した〈Azumi Setoda〉が旅の目的地だ。
世界的なホテリエ、エイドリアン・ゼッカが瀬戸内海の生口島に宿泊施設を作る。数年前、第一報に触れたときに想像したのは、海を見下ろすリゾートホテルだ。
が、意外にもそれは、港からすぐの古い商店街の入口に立つ旅館として、すでに町並みに溶け込んでいた。小さなサインを頼りに館内に入ると、レセプションは天井高9mの開放感。奥には、調理台をカウンターテーブルが囲むダイニングが見える。
江戸時代から製塩業で栄えた瀬戸田で140年の歴史を刻む旧堀内邸。宿は、この貴重な邸宅を修繕した建物が核となる。ダイニングの2階に中庭を見下ろすラウンジがあり、堀内家から寄贈された貴重な調度品が並ぶギャラリーを併設。
客室棟は新築で、古くから日本人の暮らしに馴染む杉とヒノキがふんだんに使われ、部屋は隅々まで香気が清々しい。飾りはあえて廃し、雪見障子を開けると坪庭が現れるという趣向。畳敷きではなく板張りと現代風だが、靴を脱いでのんびり、旅館のくつろぎだ。
別棟に銭湯があると聞き、早速ひとっ風呂浴びに行く。アートなタイル壁画で島の景色を楽しみつつ、手足を伸ばして移動の疲れを湯に流す。小さいけれど快適なサウナで十分に整ったところで夕食の時間だ。
夜のコースは、15皿前後。新鮮な魚介は、今なら地元産の柑橘・安政柑と合わせ、その柑橘を器に。半頭買いするというイノシシは、この日はアミューズのリエットと、メインのロワイヤル(血のソース)で登場。フランスに7年、星付きレストランでも活躍した横田悠一シェフの仕事が光る。
胃も心も満たされたら、即ベッドへ潜り込むのもいいし、もうひと風呂という手も。客室の浴槽に湯を張れば、ヒノキがまた香り立つ。
旅人とローカルが交わる
瀬戸田の日常の豊かさ。
翌朝は風が強く、瀬戸内の3月にしてはやや肌寒い。それでも朝食を終え、町へ出る。「商店街へぜひ」と言うスタッフの薦めに促されてだ。
〈しおまち商店街〉は、宿の目の前からわずか600mの道の周辺に50軒もの店が連なる。昭和から変わらぬ建物で商いを続ける店の多くは、いまだバリバリの現役。
東京でもなかなかお目にかかれないローストチキン専門店〈玉木商店〉は、毎日完売の人気ぶりで、精肉店〈岡哲商店〉には、コロッケ目当ての行列ができる。柑橘は、シーズン真っ盛り。あちこちの店先で、黄と橙のグラデーションが賑やかだ。
島の特産品であるタコを味わおうと、〈御食事処ちどり〉で名物の蛸飯を頼む。新鮮なタコと上品なだしが旨く、お代わりしたいほど。
食後も欲張りな胃袋が求めるがまま、完売直前のローストチキンとアツアツコロッケに加え、〈茶谷屋酒店〉で地元産レモンビールを買って港へ戻る。レモン色に塗られたベンチがおあつらえ向き。少々肌寒くとも、「潮風も調味料のうち!」という気分になる。
昔ながらの商店街は、姿形はそのままに、日々新しく生まれ変わっているようだ。〈Azumi Setoda〉を拠点に島を旅する、新しい旅人と交わりながら。
創業者が、なぜこの場所と、旅館という形を選んだのか、旅の最後に理解する。
ラグジュアリーとローカルの境が消え、地域の日常が地続きの2日間を終えて。名残惜しさでいっぱいになるのは旅の終わりの常だが、大丈夫。帰りもまた、海を渡る楽しみが残っている。
MODEL PLAN
1日目
13:00 瀬戸田港着。
14:00 〈Azumi Setoda〉に荷物を預け、港や宿周辺を散策。
16:00 チェックイン。宿内散策。
16:30 〈yubune〉で入浴。サウナ。
17:30 夕食。
21:00 就寝。
2日目
07:00 〈yubune〉で朝風呂。
08:30 朝食。二度寝。
11:00 チェックアウト。
11:10 しおまち商店街を散歩。
12:00 〈御食事処ちどり〉で昼食。
14:00 商店街でチキン、コロッケ、ビールを購入。
14:30 瀬戸田港前ベンチでビアパーティ。
15:30 〈MINATOYA〉でコーヒーブレイク。
16:00 瀬戸田港発。
瀬戸田港までフェリー利用の場合、三原港から約30分、尾道駅前から約40分。
車の場合は、福山駅から山陽自動車道(福山東ICから尾道IC間)、西瀬戸自動車道=しまなみ海道(西瀬戸尾道ICから瀬戸田IC間)を経由し約1時間。