Talk

Talk

語る

ヒコロヒー「直感的社会論」:生きていくことは、時にとても複雑なのである

お笑い芸人、ヒコロヒーの連載エッセイ第37回。前回の「まさか、嘘やろ、それはやめてくれ」も読む。

text: Hiccorohee / illustration: Rina Yoshioka

連載一覧へ

生きていくことは、
時にとても
複雑なのである。

「私悪くない私悪くないだから気にしない/いついかなる時も私悪くない/どちらかと言えばそっちが悪くない?/私があまりにもかわいそう」という歌をご存知だろうか。出所は知らないがSNSでとにかくバズっているためよく目にするのだが、申し訳ないがどちゃくそに気分が悪い。

私は健全な自責ができない人間を心から軽蔑している。自責思考に関しては様々な意見があるだろうと思うが、私は適切な範囲内で必要なことだと考える。

しかし何がどういうわけだか、自然発生的に「私悪くない」と芯から信じて疑わない人たちというのは一定数いる。圧倒的な他責思考。その裏側にはジャッジ癖があり、物事や人間には善悪や正誤の二極しかないと思い込んでいるのではないだろうか。

ゆえに自分が悪側、誤側に回ることを常に恐れているために他責することで心の均衡を保つのだろう。

全くもってばかばかしい。人は過ちを犯すのだ。なぜなら生きていくことは時々とても複雑だからだ。ゆえにそれは簡単に二極で裁けるものではない。それなのに自分の過ちを認めることから逃げ出し、過ちを犯したと思われることを恐れることは、弱さそのものである。

素直に謝罪すれば済むようなことさえ認められず「私悪くない」と開き直り暴れ回り、あまつさえ自分ではない誰かやどこかに問題の全てをなすりつけんとするその態度は全身全霊で否定していきたい。

もちろん必要以上に自責の念に囚われる必要は全くないが、圧巻の他責思考で保てていると思い込んでいるその心はひどく弱い。そんな卑怯な安らぎ方では、実はどんどん蝕まれていくだけだろう。

なぜこの歌詞が人々の共感を呼んでいるのだろうか。「私悪くないってそんなわけないやろタコナス」という歌がバズる時代はくるのだろうか、いささか攻撃的な時代であろう。

和菓子

連載一覧へ