腹が立っている。私たちは日常を送ることに大変に必死である。一日をいくら穏やかに過ごそうと試みてみても一筋縄ではいかない。何かが思うように進まないこともあるだろう、何かで悩み不安を抱えることもあるだろう。
悲喜交々(こもごも)は個人だけが持つものであり、それが仮に些細なことだとしても他者が些細なことだと指摘することではない。個人の感覚なのだから、個人だけのものである。そうして私たちは忙しい。行動や感情に些細なことが忙しい。日々を生きることは、それだけで本当にすごく大変なことである。なのにどうしてなのかと、すごく、腹が立っている。
ガザで死んだ子どもの数が1万人を超えたという。ただ生まれてきただけのような人間を遠い国で「戦争」が襲い続けている。まだ何も味わっていない子どもたちが殺されることに大義名分などあってたまるか。あまりにも理不尽がすぎる。想像を絶する。腹が立つ。こんなことがもうずっと起きている。どうしてどうにもならないのか。そんなに命は軽いのか。
私は頭が悪いからフェイクニュースに騙されることがある。腹が立つ。こんな時に訳のわからんフェイク作るな。腹が立つ。
震災にも腹が立っている。突然起きるな。起きる時は事前に言ってこい。最低でも1ヶ月前には言ってこい。そうすればどれだけの人たちが助かったか。どれだけの人たちが辛い思いをせずに済んだか。私たちはただ毎日を皆めいめいに必死に過ごしているだけなのに、それだけでも大変なのに、なのにどうして、お前はそういうことをするのか。
仕方ないことだと諦めたくはない。絶対にどうにかしたい。そしてどうすればいいのかわからない。わからなくて腹が立つ。私たちはただでさえ日々いろんな不安や心配事と闘いながら生きている。もう何とも闘わせてくれるな。もう二度と目の前に現れないでほしい。何事も、現れないでほしい。
私たちはすごく必死だ。側から見たら順調そうに見られる誰かも、すごく、毎日、必死だ。誰が華やかな成功を欲したか。名誉を欲張ったか。私たちはただ、ささやかに生きているだけである。幸も不幸も入り混じるなかでささやかに生きていることを嬉しく思っている、それだけではないか。
ヒコロヒー「直感的社会論」:想像を絶するさまざまに腹が立って仕方がない
お笑い芸人、ヒコロヒーの連載エッセイ第31回。前回の「キミの居場所は本当にそこなのか?」も読む。
text: Hiccorohee / illustration: Rina Yoshioka