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ヒコロヒー「直感的社会論」:アメリカでの滞在中に、水商売の「あの」感覚を思い出した

お笑い芸人、ヒコロヒーの連載エッセイ第23回。前回の「五月という月が、一年でいちばん好きな理由を述べたいと思う」も読む。

text: Hiccorohee / illustration: Rina Yoshioka

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アメリカでの滞在中に、
水商売の「あの」感覚を
思い出した。


先日、仕事でアメリカに滞在していた際に、現地スタッフや撮影クルーたちと一堂に会してご飯を食べる機会が何度もあった。昨日今日初めて会った人たちと顔を突き合わせて食事を共にしながら会話をする、この状況がずっと何かに似ていると思い、2日ほど経った頃にようやく気がついた。自分が水商売をしていた時の、あの感覚だった。

それは、私が彼らに対して機嫌を取らねばならないだとか、ホストとゲストに分別してもてなすだとかいうことでは一切なく、ただの人間としてしかそこにいられない、という、その状態に対する感覚だった。

アメリカで仕事の際に必要であり重要だったのは、それぞれのバックボーンやキャリア、立場、肩書などではなく、ただその場における人間力のみであったように感じていた。今出会った人との限られた時間の中でのベストなコミュニケーション、会話の中でのリアクション、誰であろうとフェアに佇むこと、魅力的な人間であるということ、そんなことが必要だなと感じた時に、働いていたスナックのあの感じに似ていると思ったのであった。

店で働いていた時には、時々、客の中に自らの立場をひけらかし肩書にふんぞり返る者もいたけれど、それは全く魅力的とは思えず、むしろ何も持っていないはずの客が話術や感性で場を掌握していく様や、決して美人とは言えないホステスのお姉さんが気遣いやリアクションで客を虜にしていく様に、感動していたものだった。

もちろんお客の持つ経済力という魅力にとろけるホステスのお姉さんもいたが、その点のみで手綱を握っていても、その関係性の終わりはいつも早かった。そうしているうちに私は、人間と人間が対峙する際には、人間力以外の面で何ひとつ怯む必要がないのだと無意識のうちに知っていったような気がする。立場、肩書、経済力、そんなことは店内で酒を酌み交わしながら人間同士が関わる上では、あまりに無力だった。

そんな状況に似ていたアメリカでの時間は、私が、いつか自分が店で出会ったあの客のようになっていないかと省みてしまう瞬間が多かった。そうならないようにしようと思いながら、用意してもらった喫煙車でタバコを吸っているのだから世話がない。

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