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ヒコロヒー「直感的社会論」:五月という月が、一年でいちばん好きな理由を述べたいと思う

お笑い芸人、ヒコロヒーの連載エッセイ第22回。前回の「我慢をする、ということを覚えないままここまで来たものの」も読む。

text: Hiccorohee / illustration: Rina Yoshioka

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五月という月が、
一年でいちばん好きな理由を
述べたいと思う。

ろくろ

誰の為にもならない冬が終わり、かすかに人々が色めきたつ春も過ぎようとし、私たちはいつも通り、五月へと向かうのだという。

五月というものは私が一年で最も好きな31日間である。どれほど文明が発達しようと気象環境だけは我々には支配しようのないものであるからして、五月の気温は尊い。

五月の素晴らしいところはあげれば枚挙にいとまがないが、今日は皆さんに五月の何がいいのかを教えてさしあげたいと思う。

まずは、電気代がそんなにかからずに済むところが素晴らしい。他のどんな一ヶ月に比べても、五月は電力を調節せずともカーディガンの脱ぎ着だけで事なきを得るのである。それに比べて八月は最悪である。八月や一月は五月を見習って反省したほうがいい。

ふたつめは、忌々しい夏というもののイメージを、幾分よくしている点である。五月に入ると、アイスのCMが増え、店頭には夏物のファッションが並び、数ヶ月後の花火大会の日程も明確になってくる。私たちは五月中に夏を猛アピールされることによって、夏に対してやや前向きな気持ちになれる。

しかし実際どうだろうか。夏というものは最悪だ。アイスもビールも夏じゃなくても美味しいのに、夏だから美味しいかのように人類を洗脳する夏。花火大会もフェスもBBQも絶対に秋にやったほうがいいのに、夏のものにしようとする夏。

忌々しい野郎だが、それでも未だに四季のうちのひとつとして君臨できているのは、五月が前振りをしてくれているからなのだ。夏は五月に謝礼を払うべきである。

字数が足りなくなったが、私は五月を本当に愛している。一日一日、五月に今いるのだというだけで胸がはずむ。また五月に来ることができる喜びをこんなに知っている人生を歩めることは嬉しいが、夏を見下す人生になっていることは申し訳なく思ってはいる。

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