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ヒコロヒー「直感的社会論」:我慢をする、ということを覚えないままここまで来たものの

お笑い芸人、ヒコロヒーの連載エッセイ第21回。前回の「迷惑行為と 裁きについて。 今一度考えてみる」も読む。

text: Hiccorohee / illustration: Rina Yoshioka

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我慢をする、
ということを覚えないまま
ここまで来たものの。

ラムセス2世

我慢、というものに縁遠い人生であった。同時に、我慢、とは、何からくるのだろうかと考えることの多い今日であった。

私は部活動を人生で一度たりとてしたことがなく、2年の先輩が来る前に体育館に行ってボールを出しておくなんてばかげていると本気で思っていたし、3年の先輩を送るための各部活動からの合唱なんて誰が喜ぶねんと本気で思っていた。そして今もなお、思っている。よくもまあのうのうと部活動というものをせずに生きてきたなと思う瞬間もある。

部活動や社会生活というもので最も培われるのは忍耐力であろうと思う。対人関係において円滑を促すためにいかように嘘を述べるかや、あるいはどの人物を見極めて嘘を話すか、そして、どのように腹が立ったとしても、我慢して押し殺すというものも得られる。そして私はこの、我慢して押し殺す、という引き出しが、全くこの身体に備え付けられない。

大橋未歩というフリーアナウンサーがいる。レギュラー番組でずっと共演してきた清楚か清楚じゃないのかよくわからない笑顔と、可憐なのだか嫌味なのだかよくわからない愛嬌を兼ね備えるアナウンサーだった。

彼女は傍目から見てもよく我慢していた。それは彼女の感情の推移を知らないからして断言はできないが、とてもよく、我慢をしていたと思う。そして我慢をしてなお、我慢をしていないみたいな顔をする我慢さえもしていた。大マゾヒストなのだろうか。

そして私は今、心からこう思っている。とても、我慢が、したい。我慢をしてみると、人生が大きく変わる気がしている。

多くの我慢をして、多くのその代償を得てみて、我慢というものの素晴らしさを知ってみたい、とマネージャーに伝えると「良さなくなるのでは?」と言われた。「え、なんで?」と、さっそく我慢できずに尋ねてしまったのであった。

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