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〈graf〉代表・服部滋樹の、人生の年表のような本棚と体験を促す装置としての本

家具や建築のデザインをはじめ、地域再生などの社会活動にも力を注いでいる〈graf〉の服部滋樹さん。幼い頃から本に親しみ、10代で読んだ長編小説『ライ麦畑でつかまえて』など、どうしても手放せない蔵書も多いという。そんな服部さんの本棚は、ただ本を収める「収納」以上の意味を持つ。

photo: Norio Kidera / text: Tami Okano

本棚は、人格形成の歴史を示す年表のようなもの

自宅は、大阪府寝屋川市にある築42年のタウンハウス。敬愛する建築家、石井修が設計した家での暮らしを「体験してみたい」と望み、6年ほど前、縁あってその1棟に入居した。

本は、家のあちこちにある。キッチンにもダイニングにも、寝室や階段の踊り場にも。隙間があれば、そこに本あり。本棚あり。一番大きな本棚はリビングの一角で、中庭に面した大きなガラス窓を背に立っている。3×6の構造用合板を3枚、取り都合良くカットして自作したもので、いわく、そこには「蓄える本」が並んでいる。

「本って2種類ありますよね。いざなわれる本と、蓄える本。例えば小説は、文章から色や形、空間や人柄を想像する。そのことで、イマジネーションが刺激され、頭の中からもっと広い外の世界へといざなわれていくもの。専門書であっても、その分野の魅力に触れたり、興味や関心、理解の入口になったりする本は、いざなわれる本と言えるんじゃないかな。

一方で、写真集や作品集、その存在を自分の一部として持っていたいと思う本が、蓄える本。線引きは個人的な感覚でしかないし、どちらも大事だけど、やっぱり蓄える本を選ぶ時の方が、時間をかけて吟味しているかもしれません」

気になるのは、それらの本をどう収めているか。本棚の中の「並び」だ。ジャンルはバラバラ。ルールはないように見える。

「基本的に、並びは出会った順です。本ってセレンディピティ的な、思いもよらない偶然で出会ったりするじゃないですか。その時の自分の現在地というか、心の状態や思考が重なって引き寄せている。そうやって出会った本を持ち帰ってすぐに、著者名や内容で整理するというのは、ちょっと違うと思うんですよね」

本棚はその人の人生だ、とよく言うけれど、もっと言えばそれは、持ち主の“年表”みたいなものではないかと服部さんは言う。

「本棚は、一人の人間の人格が、並んでいる本とともに、生きてきた時間とともに形成されてきた証しでもある。そうであるがゆえに、出会った順、思考を巡らせた順、という個人史としての時系列が軸になる。なぜこの本?と思うような瞬発的に欲しかった本でも、その時代、その瞬間の僕を表しているから、簡単には除けない」

だからこそ、十人十色の本棚の「並び」は見ていて面白いし、迫力がある。誰かの本棚に手を伸ばす時、その人自身と会話しているような感覚になる。その人にしか生み出せない並びの「全体感」が、本棚の価値そのものなのではないかと服部さんは話す。

「そもそも、僕が本を好きになったのは、祖父母や母の本棚を見て育ったからなんですよね。母の本棚に花森安治の本が並んでいたから、暮らしやデザインへの眼差しに関心を持ったんだと思うし、母の本棚から、母の思想を引き受けた感じがある。その全体感は、言葉以上、思い出以上に、自分の中に残っている気がします」

デザイナーの作品集の横に社会学の本があり、小説があり、アートの本がある。そんな雑多な人生年表たる本棚の前で、服部さんがふと言う。

「それにしても本って、知識って、デコボコだなぁって思うんです」

山の本を読めば、山の知識を得られ、建築の本を読めば、建築の知識が得られる。そうやって得られた知識は、独立して突出するデコ。それ以外の未知の部分がボコ。最近の関心は、本がもたらすその知識のデコボコが、いかにして知性になるのか、ということ。

「僕が今思っているのは、知識と知性の間にあるのは、体験なんじゃないか、と。体験が、デコボコの知識をシームレスにつなぎ、知性を形作る。ある本に書かれていたことを、身をもって体験した時に、関連性がないように思えていたもう一冊の本とつながり、より深くわかる。つまり本は、知性の拠りどころとなる“体験を促す装置”でもある。

だから、デコボコでいいから、どんどん本と出会うべきだし、隣り合うデコとデコの距離が一見、遠く感じるくらいの本同士の方が、つながり甲斐があって面白い。そのつながりや広がりが、つまり人生の面白さなんじゃないかと思っているくらいです」