のんびり歩く人だけに見えてくる、奥多摩・三頭山のミクロコスモス
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「あ、タチツボスミレがありますね。トウゴクミツバツツジも花を咲かせています」。奥多摩ビジターセンターの職員、田畑伊織さんは数歩歩くごとに植物を見つけて足を止める。歩きだしたかと思えば、「オオルリが鳴いてます」と耳を澄ます。そんなこんなで登山口を出発してから20分。「あれ、まだ200mくらいしか進んでいないですね」と笑う。
都心から電車で1時間半ほどの奥多摩。東京都最高峰の雲取山(くもとりやま)など多くの山々が連なるが、中でも立派なブナ林が残り、季節ごとに多様な動植物が見られる三頭山(みとうさん)は、初心者でも気軽に登って豊かな自然に触れられる“東京名山”の一つだ。
「こんなにゆっくり、じっくりと山を歩くのは初めてで、新鮮です」とは、イラストレーターの服部あさ美さん。聞けば登山デビューは富士山の弾丸登頂だったそう。さらに初登頂の翌週に別ルートからまた登ったというから、なかなかの健脚だ。
「登頂目的の登山だとどうしても歩みが速くなって、自然を見る余裕はナシ(笑)。もっと植物や動物に目を凝らせたら、違った山の楽しみを見つけられるかなと思って」。そんな思いから、動植物に詳しい田畑さんと山を歩いてみることにした。
図鑑だけではわからない。歩いて知る本当の自然の姿
三頭山にはいくつかルートがあるが、田畑さんが往路に選んだのは登山口から三頭大滝に続く「大滝の路」「ブナの路」を経て山頂へ至る沢沿いのコース。初夏ともなると気温が高くなる奥多摩だが、水辺の道は風が通って気持ちがいい。
「ここ、見えますか?コガネネコノメソウです」。田畑さんが指差す先には、米粒くらいの黄色い花が身を寄せ合うようにして咲いている。「なんという可憐さ……。一人だったら完全にスルーしてました!」と服部さん。
ルーペを借りて観察すると、小さな花の中にある精巧な造形がよくわかる。あまりの美しさに、ノートを出してスケッチする。
「植物の絵を描くのが好きなのですが、普段はもっぱら図鑑が資料。でも本物を目で見て描くのは楽しいし、発見の量が格段に違いますね」
その姿を見ていた田畑さん、「さっきから複雑な節回しの鳴き声が聞こえませんか?ミソサザイはコガネネコノメソウと同じく沢沿いを好む鳥です。環境によって植物も動物もメンツが替わるので、セットで覚えると、より山歩きが楽しくなりますよ。
復路の尾根では違った組み合わせの動植物が見られますから」と助言。服部さんのノートには花と鳥の名、鳴き声の特徴、そして「沢チーム」としっかりと記されていた。
耳を澄ます
見て、聴いて、触って。小さな山をじっくり味わう。
人間の感覚とは不思議なもので、ひとたび小さな花や、かすかな鳥の声に気づくと、徐々にそれを感知するアンテナが立ち始める。実際、歩き始めて1時間ほどすると服部さんはミクロな花を発見できるようになり、遥か遠くを飛ぶ鳥の姿を双眼鏡でキャッチできるまでになった。
「では次は木の幹や葉に触れてみましょう」と田畑さん。差し出された葉に触ると、なんだかフワフワで気持ちいい……。「これはイヌブナ。ブナの成葉にはほとんど毛がないので見分けるポイントになります」とのこと。これは面白いと、次々に植物に触れてみる。
同じように見える木の幹も、手から伝わる質感はまるで違う。そしてきっと、そうであることには理由がある。「なんで、どうして?」と知りたくなる。気づけば6㎞以上も歩き、下山したのは予定よりずっと遅い日暮れ直前だった。
「東京の山にこれほど豊かな植物の世界が広がっていたなんて。そこに確かにあったのに、早足で通り過ぎていたんですね。田畑さんから授かったミクロな世界への眼差し、ほかの山にも向けてみます。きっと全然違った風景が見えると思うから」
触れてみる