波照間島には、「パイパティローマ」という伝説がある。琉球王国時代、島人は人頭税という過酷な重税に苦しめられてきた。そして、ある凶作の年、一部の島人が役人の目を盗んで島を脱出。南の果てのさらに南にあるという楽土、「南波照間島」へ渡り、戻らなかったという物語だ。
現在の波照間島も、台風によってたびたび被災する。荒天が続いて船が出ないと、生活物資や生鮮食品はすぐに途絶える。衣料や本など、町では簡単に手に入るものが島にはないし、病院も小さな診療所が一つあるだけ。離島ゆえの苦労や不便は、今も続く。
しかし、島の人たちは屈託ない。本来の島人も、UターンやIターン組も、みんな明るく前向きだ。たとえ物はなくても、その日その日を充足させて生きている。島に移り住んだ人々は口々に言う。「何もないのがいい。ここにいると、本当に必要なものはそれほど多くないんだ、って気づく」
11年前に長野から島に嫁として来た仲底美貴さんは、「その代わり、朝、太陽が昇り、風が吹く、そんな当たり前のことをとてもありがたいと思うようになった」と言う。子育ても、地域全体で育ててくれている感じがして、とても助かった。この島では子供は、島人みんなの宝なのだ。「ここでは自分だけのことより、まず島に恩返ししないと……、という気持ちになる」と仲底さん。
「結」が根づくこの島では、隣近所での食材の持ち寄りや交換は日常茶飯事。「ある人がない人に渡して、できる人ができない人を手伝う慣習は、昔から変わらない」とは、島でずっと暮らしてきた野底光子さんの話。「贈与経済」を今も受け継ぎ、みんなでみんなを優しく見守る。そんな環境だから、自ずと誰もが個人個人のことではなく、自分の何が島に役立つのか、考えるようになるのだろう。
小さな島には珍しく、この島にはよそ者を区別するような風潮があまりない。いる者と来る者が助け合ってこそ豊かになることを、この島はよく知っている。青森出身で5年前から島に住む葛西由貴さんは言う。「自分にできることを考えているうち、自然とここには居場所ができる」と……。
かつて海の向こうに求めた理想郷、パイパティローマ。それは今、島の中にあるのかもしれない。
宿泊者にリピーター多し。
ウタと神々が息づく島
波照間島は、小さな島だ。ニシ浜と最南端の碑を訪れるだけなら、石垣島からの日帰りも可能だ。しかし、この島の幸福感を味わうには、やはり島に何泊かすることを勧める。沖縄の中でも、おそらく宿泊者のリピート率の最も高い島ではないだろうか?
長く滞在すれば、島のウタも聴けるかもしれない。実はここは、「ウタではハテルマに勝てない」と言われるほど音楽土壌の豊かな島。多くの唄者を輩出する石垣島の白保も、元は波照間島の人々が建てた集落だ。旧盆の行事・ムシャーマでは、島人全員がアーティストになるという。
また、今も島の人々は、「ウヤーン(親)」と呼ばれるたくさんの祖神たちを厚く敬う。島内には20ヵ所以上の聖地や拝所があり、年間50回もの神事が行われる。担うのは、島の女性たち。島外の者は、これらの聖地や拝所、また神事には立ち入らないこと。
なんでもかんでも
日本最南端ウォッチングの旅
有人島として日本最南端の波照間島では、自ずといろんなものに、「日本最南端の」という修飾語がついてしまう。この島に来たら、そんな「日本最南端ウォッチング」を楽しむのも一興かもしれない。
日本最南端の学校、日本最南端の郵便局などは、集落を歩けば簡単に見つかる。日本最南端の駐在所の横には、日本最南端の留置場もある。これまで数回、泥酔者が利用したらしい。日本最南端の家、日本最南端の自動販売機あたりは、中級コース。日本最南端のマンホール、日本最南端の電信柱となると、かなりマニアックなリサーチが必要だ。
ちなみに、何か記念となるものが欲しい人には、竹富町観光協会発行の「日本最南端の証」がある。1部500円で、〈仲底商店〉などで販売中。
沖縄本島の那覇市から南西に約460km、八重山諸島の主島・石垣島から約60km先に浮かぶ楕円形の島。島の周囲は約15km。沖縄県八重山郡竹富町に属す。全島隆起サンゴ礁の平坦な島で、一番高い所でも標高約60m。ハブはいない。5つの集落は、すべて島の中央部に集中する。八重山方言での島名は「ベスマ」。「我らの島」の意。
Travel Information
交通:高速船が石垣島の離島ターミナルから1日3便(10〜3月。4〜9月は増便)。所要約60分。
食事:食堂数軒と居酒屋あり。もしくは民宿内で。ヤギ汁に出会う機会があったら、迷わず食すべし。
季節:2〜11月は遊泳可能。南十字星は12〜6月。夏場を外したほうが、島本来の魅力を味わえる。
見どころ:晴天のニシ浜と星空は感動的。集落や見どころを回るには、電動レンタサイクルが便利。
その他:夏は台風が多く、冬は海が荒れやすいため、船の欠航が意外と多い。滞在には、前後に余裕のあるスケジュールを組むようにしたい。