ヒンデミット
交響曲「画家マティス」
ヒンデミットの「画家マティス」のレコードが集まってしまったのは、その音楽に惹かれるからというよりは、ジャケットの絵におどろおどろしいものが多いからかもしれない。ジャケットに惹かれてレコードを買ってしまう。
「画家マティス」とは、フランスの画家アンリ・マティスではなく、16世紀のドイツの宗教画家マティアス・グリューネヴァルト(本名マティス・ゴートハルト・ナイトハルト)のことで、彼の代表作である不気味な「聖アントニウスの誘惑」がジャケット・デザインの一部に用いられていることが多い。
ヒンデミットはこの作品を1934年にベルリンで発表したが、ナチ党の激しい反感を買うことになった。フルトヴェングラーはヒンデミットを擁護して論陣を張り、その結果ベルリン・フィルの音楽監督の地位を去るに至った。「ヒンデミット事件」と呼ばれる出来事だ。
音楽は内容的にはリヒアルト・シュトラウスの音楽に近く、とくにゲッベルスの逆鱗に触れるような要素はないのだが、この作品の元になった歌劇『画家マティス』の筋書きが明らかに「反ナチス」的であったために、見せしめとして弾圧が加えられた。
マーラーのスペシャリストとして知られるホレンシュタインの演奏は、ダイナミックで表情豊かだ。まるで絵巻物を見ているみたいに音楽がするすると進行していく。盛り上がりの部分、ロンドン交響楽団の咆哮は野太い。
ヘルベルト・ケーゲルは東ドイツ時代に、長年にわたってライプツィッヒ放送交響楽団と、ドレスデン・フィルの常任指揮者を務めた。彼もマーラーを得意とする人だ。日本にもたびたび訪れており、高い評価を得ていた。しかし1990年、東西ドイツ統一の混乱期に、世をはかなんで拳銃自殺を遂げた。
彼の演奏する「画家マティス」はホレンシュタインに比べると、もう少し内省的な色彩が濃くなっている。音を前面に押し出していくよりは、むしろ表現を抑制し、内声部を際立たせることを目指しているようにも聞こえる。たぶん派手さを嫌う人なのだろう。
シルヴェストリは英国的なアプローチというか、どちらかといえば優しく中庸的な音楽を、無理なくこしらえていく。フィルハーモニア管弦楽団も終始落ち着いた滑らかな音を出しており、「そうか、これはこんなに聴きやすい曲だったんだ」と聴くものに思わせてくれる。うまく噛み砕くというか、そういうのもひとつのあり方だ。
最後に作曲家自身が指揮する「画家マティス」。うちには1934年の初演1ヶ月後にベルリン・フィルを振った録音(テレフンケン)と、1955年にやはりベルリン・フィルを振った録音(グラモフォン)と、2種類がある。
ヒンデミットは作曲家としてだけではなく、指揮者としても定評があっただけに、34年の演奏はなかなか聴き応えがある。
作曲家が自作を演奏するのがいちばん説得力を持つとは言い難いが、このテレフンケン盤「画家マティス」の場合に限ってはそう言ってしまっていいかもしれない。そこには差し迫った空気のようなものが感じられる。SPからの復刻だが、音も決して貧弱ではない。
しかし55年の再演は意外に今ひとつぴんとこない。隙のない音楽になっているし、これという難点は見当たらないのだが、なぜか心に迫るものがない。退屈ささえ感じる。初演当時の時代的緊迫感みたいなものが、音楽にそれなりの刺激を与えていたのだろうか?