メンデルスゾーン
「真夏の夜の夢」作品61
どれも全曲盤ではないが(全14曲)、クレンペラー盤はレコード両面を使って10曲を収めている。ベイヌムは3曲、シューリヒトは8曲、モントゥーは4曲。この曲、今ではもっと録音状態の良い盤がたくさん出ているのだろうが、この4枚のレコードのうちステレオ録音はクレンペラー盤のみで、あとはみんなモノラル時代のもの。でもどれもしっかり聴き応えがある。
クレンペラー盤にだけ女声とコーラスが入っている。ヘザー・ハーパー(ソプラノ)とジャネット・ベイカー(コントラルト)。だからというわけでもないのだろうが、演奏にもいちばん力が入っているようだ。それはもう冒頭の出だしの音からはっきりしている。
音楽も劇の付随音楽というよりは、堂々たる交響曲のように鳴り響く。べつに交響曲が劇の付随音楽より偉いと言っているわけではないが、そこには不思議なほど格調高い音が鳴っているのだ。クレンペラーという人は基本的にそういう音楽を指向しているのかもしれないが。
シューリヒトの演奏は「めっけもの」というとなんだけど、音楽がとても生き生きとしていて楽しめる。聴いていて、思わずうまいなあと感じ入ってしまう。クレンペラーのようなきっぱりした門構えを持つ音楽ではないが、両手の中で音楽が自由にきびきびと動いている。シューリヒトというと、マーラーやブルックナーをつい思い浮かべてしまうのだが、この「真夏の夜の夢」の飾り気ない、小ぶりな愉悦も捨てたものではない。
モントゥーがウィーン・フィルを指揮して、ウィーンで録音された盤。「悪かろうはずはない」と頭から決めつけてかかるのもなんだけど、実際に素敵な演奏だ。肩に余計な力を入れず、手なりで軽々と流しながらも、要所要所を怠りなく押さえる。ウィーン・フィルも、自分たちの奏でる優雅な楽音を自ら愉しんでいるみたいだ。
このときモントゥーはもう80代半ば、老練・老成というよりは、人生の残り火を大事に慈しんでいるような独特の温かいものがそこにある。
ファン・ベイヌムの指揮するコンセルトヘボウ管弦楽団は、いつだって独特の素敵な音を出す。オーケストラ全体が一挺の得がたい名器のように聞こえる。ベイヌムは基本的に中庸を得た人だが、筋の通った世界観を持っていて、それを常に穏やかな形で表明する。
その声は大きくはないが、大きな部屋の隅々にまできちんと届く。ヨッフムやハイティンクにもそういう傾向はあるが、(僕の思うところ)ベイヌムの平均点はきわめて高い。
この「真夏の夜の夢」にも、彼のそういう美質はしっかりと貫かれている。「序曲」「夜想曲」「スケルツォ」の3曲しか収録されていないというのはちょっともったいないけど。
この4枚の古いレコード、どれも捨てがたい。