プーランク
「スターバト・マーテル」 FP.148
親しい友人の死を悼んで、1950年に作曲されたプーランクの宗教曲。以前も同じ作曲者の「グローリア」を取り上げた。プラーンクの宗教曲を2つも選ぶのはなんとなく心苦しいのだが、個人的に好きなので……。
オットー・クレンペラーはプーランクの新作を指揮しながら、「フランス語で糞というのはなんて言ったっけなあ?」と呟いたそうだが、プーランクの音楽はおそらく彼の趣味には合わなかったのだろう(わかるような気はする)。
プーランクの良き理解者であり、彼の多くの曲を初演したプレートルは、この「スターバト・マーテル(哀しみの聖母)」を2度録音している。「グローリア」もそうだったが、プーランクの宗教曲の特徴は偽古典的な曲調の面白さにある。形式は古いのだが、細部はあちこち新しく、道具立ては形式的だが、ハーモニーは時として大胆だ。
真摯さと諧謔性が同居したプーランクらしい分裂性。そのあたりはフォーレの宗教曲とはずいぶん趣を異にしている。
プレートルは最初の録音(57年)ではそのようなプーランク的分裂性をかなり表面に押し出し、積極的に現代性(同時代性)を匂わせた音楽をこしらえている。そしてそれは結果的にかなりメリハリのきいた、ドラマチックな ーときには荒々しいー 方向に振れた演奏になっている。
しかし20年後にバーバラ・ヘンドリックスを独唱者に迎えて吹き込んだ盤では、その音楽は比較的落ち着いた、滑らかなものになっている。ドラマ性は同じように維持されているが、前のめりな印象は薄れ、全体としてはむしろ「準古典」的な落ち着きを見せている。どちらを取るかは好み次第だ。ヘンドリックスの歌唱が素晴らしいので、僕は新しい録音の方を取るかもしれない。
ルイ・フレモーの演奏はあくまで中道的だ。奇をてらうことなく、出しゃばることなく、淡々と穏当に、しかし情感にいささかも不足することなく音楽を作っていく。ドラマ性のようなものは(良くも悪くも)あまり感じられない。ジャクリーヌ・ブルメールはリリック・ソプラノとして名を馳せたフランス人歌手で、独唱もコーラスも美しい。
フレモーはあまり目立たないが、堅実で信頼できる指揮者だ。10年ほどにわたってバーミンガム市交響楽団の音楽監督を務め、その土台作りを済ませたあとサイモン・ラトルに地位を譲った。
このレコードのB面に収められた同じプーランクの「仮面舞踏会」は「スターバト・マーテル」とは違って諧謔性に富んだ軽快な曲だ(プーランク自身がピアノ・パートを受け持っている)。フレモーは歌手とピアニストを前に立て、そこに軽やかに音を鏤めていく。
ちなみに小澤征爾氏の指揮した「スターバト・マーテル」は佇まいが実にさっぱりとしていて、「ああ、こういうのもありなんだ」と素直に感心してしまう。