シェーンベルク
「三つのピアノ曲」作品11
無調時代から12音時代へと移る前の時期(1909年)にシェーンベルクが作曲したピアノ作品……というとなんだかとっつきにくい印象を受けるが、後期ロマン派の残滓のような響きもあり、決して聴きにくい音楽ではない。まあ、お洒落なカフェのBGMには向かないだろうけど。
この曲に世間があらためて視線を向けたのは、おそらくグールドの演奏によってだろう。初期のグールドはバッハとシェーンベルクに深く傾倒していた。
ポリーニの演奏が、とびっきり鋭利に研ぎ上げた刃物のような切れ味にあるとしたら、グールドの演奏の特徴は、ひとつの物体をいったん解体して、もう一度新しいやり方で組み合わせたような、コンビネーションの面白さにある。
どちらもきわめて優れた演奏だし、それぞれに独自の美質があると思うが、もしどちらかひとつを取れと言われたら、僕はグールドの方を選ぶと思う。というのはポリーニの提供する刃物の切れ味は、文句のつけようなく見事なものだけれど、そこには「妖刀」のようなあやしさは希薄だからだ。すぱすぱと鮮やかに切れるが、不安感のようなものはあまり感じさせない。それに比べてグールドのピアニズムには、人の心を構造的に揺さぶる、あるいは惑わせるものが含まれている。
ジャン=ロドルフ・カールスは今では名前をほとんど聞かないが、優秀な才能を持った新進ピアニストだった。インド生まれのユダヤ系オーストリア人、フランスで育ったという、伝統的地縁を持たない人だ。そういうことも影響しているのかもしれないが、自分の言い分をユニヴァーサルに、明快に表現できる知的なピアニズムを身につけている。しかし決して即物的というのではない。
ポリーニのような「キレキレ」の演奏ではないし、グールドのような独特のゲーム感覚みたいなものもない。正面からまっすぐ音楽に拮抗する。あえていえば、そこにあるのは「自己探求」のような、内的世界へののめり込みだ。この人はユダヤ教からカソリックへと改宗し、聖職者となり、若くして音楽界から引退した人だが、そういう思索的な側面もそこにはうかがえるかもしれない。
シュトイアーマンはシェーンベルクの高弟であり、彼の多くのピアノ曲の初演を行った。そういう意味では最も「正統的」なシェーンベルク弾きと言ってもいいだろう。
彼の演奏はきわめて正確にストレートに、譜面に書かれた音楽をきっぱり再現している。そこには20世紀初頭のウィーンの爛熟ぶりや不気味さをうかがわせる響きはない。情念も、知的な遊びのようなものも見当たらない。余計な付属物がくっついていないぶん音楽の構造がすっきりと見通せ、そういう意味では逆に面白い演奏となっているかもしれない。いささかお手本的な色彩が濃いように感じるが。