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濱口竜介監督が語る映画『ある惑星の散文』。2人の女性を巡る、深田隆之監督の初劇場作品

濱口竜介監督が、深田隆之監督の初劇場公開作『ある惑星の散文』の魅力を語る。

text: Keisuke Kagiwada


深田隆之監督の初の劇場公開作『ある惑星の散文』は、脚本家を目指すルイと、元舞台女優の芽衣子の日常を交互に描きながら、「他者と思い出を共有することの難しさ」に肉薄した作品だ。深田監督が助監督(エキストラ演出)を務めた『偶然と想像』の濱口竜介監督は、本作を観て「これを作れるなら、安心して自分の目の届かないところの演出を任せられる」と確信したという。そんな濱口監督に、『ある惑星の散文』の魅力について語ってもらった。

「これは確実になにかあるぞ」と思わせる非凡な映画

本作は横浜の本牧周辺が舞台になっています。私も自分の映画のロケハンで回ったことがあるのですが、かなり扱いにくい場所だと思うんですよ。あまりにも人の気配がないので。しかし、深田さんは、その風景の持つ寂しい感覚を的確に捉えることで映画を作ってしまった。

それは人物を適切に配置することで初めて浮かび上がってくるものであって、単に目の前にある風景を撮れば捉えられるというものではありません。その人物の配置を通した風景の切り取り方が、一番目立って優れている点だとまず思いました。

だから、私は本作を風景の映画として観始めたのですが、中盤にさしかかると風景と人のバランスが反転する。転換点となるのは、マンションの玄関で、ルイが恋人に別れを切り出すシーンです。

それまでは風景がまずあり、その中に人物がいるという感じだったのが、人物の時間が前景化してくるというか。そして、冒頭ですれ違っていたルイと芽衣子が出会い直し、互いに激しい感情を持っていたことを発見したところで、映画は終わる。

すべてがうまくいっているとは思いませんが、「これは確実になにかあるぞ」と思わせる非凡な作品だし、深田さん自身もある種の確信があってそこに向かって作っている気がしました。音響的にもかなり興味深いことをやっているので、ぜひ映画館の大画面、大音響で観てほしいです。きっとスリリングな体験が待っているはずなので。