英雄譚のために自らの首をかけられるか。
真の勇敢さを問うファンタジー
BRUTUS
14世紀に書かれていますが、現代にも通じる物語だと感じました。この詩の可能性に気づいたのはいつ頃でしたか?
デヴィッド・ロウリー
大学1年生の時に初めて読んで気に入ったことは覚えていたのですが、当時はちゃんと理解できるほど賢くなくて。4年前に読み直した時、700年前の作家と今の語りが似ていることに驚きました。
「人はどのように行動し、接し合うのか?」「良い人間とは?」といった現代にも通じる多くの問題を扱っていることに衝撃を受けたんです。モダンでエッジの効いた、成熟した内容であることにも興奮してしまい、読みながら同時に脚本を書き進めました。
BRUTUS
母親がダメ息子を旅に出させる物語としても読み解けますが、ご自身の体験を重ねられた部分もあります?
デヴィッド
まさに、母から自分を律することを強いられたタイミングがありました。当時は、どうすればなりたい自分になれるのかわからず、社会に出るのも怖いし、できればずっと実家にいたかった。でも、26歳で追い出されたおかげで、今の自分があると思っています。
善と悪は割り切れないもの
BRUTUS
まだ騎士になる前のガウェインのキャラクターには、ご自身のネガティブな性質を凝縮させたそうで。
デヴィッド
彼を描くにあたり、母の元から出なくてはならず、目標に向かって集中することから逃げている自分を想像してみたんです。そうしたら、こんな感じのガウェイン像になりました。僕は頑張って仕事するけれど、同じくらい怠惰な人間なんです(笑)。
それに、自覚していても、自分のことばかり考えてしまう傾向があるので、妻や大事な人のためのスペースを作らねばと努力していて。本作を観てくれた人と話して、僕もそう思ったんですが、ガウェインのダメさが鏡になって、より良い自分になる方法を探さないと!と自分を駆り立てる効果はあるみたいです。
BRUTUS
ガウェインは既存のヒーロー像を打ち破るヒーローだと感じました。映画監督を志したという8歳の頃から、ヒーロー観は変化していますか?
デヴィッド
当時は、単純にルーク・スカイウォーカーのような悪者と戦う人こそヒーローだと信じてました。でも、年を重ねるにつれ、ヒーローが行うことすべてが善ではないかもと考えるようになって。
悪の中にも善が存在するし、自分をヒーローだと捉えている悪役も存在するんじゃないかと今は思っています。
BRUTUS
最も影響された悪役キャラは?
デヴィッド
たくさんいますが、リドリー・スコット監督『ブレードランナー』(1982年)のロイ・バッティです。“雨の中の涙のモノローグ”に感動して、彼への認識が変わりました。その影響で、僕は自分の作品において、真の悪人を書くことが難しいんですよね(笑)。
BRUTUS
確かに、ロウリー監督の作品は、たとえ犯罪や悪を描いていても、穏やかなまなざしを感じさせますね。
デヴィッド
作品の柔らかさや時間の感覚、ペースは、争い事が苦手な僕自身の性格が確実に反映されてますね。僕は、本当に怒れないタイプで、映画も現実も、葛藤に向かって自分を追い込むことが難しくて。
物語を進めるために対立や争いが必要な場合も、なんとかそれを回避する方法を常に探します。結果、自分が大事にしている、ある種の厳しさ、平穏さ、静けさが生まれるのかと。
BRUTUS
ディズニー映画のような大作とインディーズ映画を交互に作られている印象がありますが、低予算の方が、純粋にやりたいことに挑戦できるものですか?
デヴィッド
予算が大きい作品だと挑戦はしないという意味ではもちろんないですが、低予算だと、金銭的なレベルでリスクを負う必要がないので、さまざまな制約の限界を押し広げたり、観客の背中を少し押してみたりすることはできるなと。
本作も、みんなが期待しているようなスピード感やアクションはほぼないので、一部の客層をイライラさせることもわかっているんです(笑)。
低予算なわけではないですが、大規模ではないからこそ、そういったリスクを冒せたと思ってます。もちろん、観客を排除したくはないですし、たくさんの人に観てもらえるディズニー映画のような大作を手がけることもすごく楽しんでいます。