ジャン=リュック・ゴダールの訃報を受けて、僕も世界中のJLGファンと同じようにショックを受けてます。嘘みたいな話ですが、19年前にヨーロッパの映画界で「God(神)dard」とさえ崇められていた、彼のアトリエをほぼアポイントもなしに訪れました。
当時の僕は、フランスとスイスを自転車で気ままに旅していて、彼の映像に心酔していた僕は、スイスの彼の住む村を秘かな旅の目的地にしていたのでした。ジュネーブを自転車で出発して、ロールというレマン湖沿いの村に着いたその日、とあるカフェでコーヒーを飲んでいると、目の前をジャン・リュックのパートナーであるマリー・ミエヴィル(彼女も著名なすばらいしいフィルムメイカー)が通るという僥倖(ぎょうこう)。
恐る恐る話しかけると、電話してみたらとゴダールのアトリエの電話番号が書いたメモを渡される。カフェで電話をかりて(当時はまだ携帯電話を持たずに旅をしていた)電話をかけると、ゴダール本人がでて、30分後に来いと、フランス語で言われたのちに、ガチャンと切られる。言われた住所に30分きっかりに行くと、ガラスドアの向こうでゴダール本人が静かに読書を嗜んでいるではないか。
こんな偉大な人の時間を、奪ってはならぬと恐縮しながらドアを開けて、非礼を詫びると「ミゾグチとオズの国からやってきた旅人はいつでもウェルカムだ」と嬉しい返答。あなたの写真が一枚撮りたいのですがと伝えると、それでは、今『映画史』という映画を編集中だから、その編集している姿を撮影してくれたまえと、アトリエ奥のスタインベックというアナログフィルムをまるでDJのように編集する編集台に座り、『映画史』の映像まで流してくれる。君のカメラポジションはそこで、横のカーテンを開けて、光を入れなさいと、映画監督よろしく全ての画面を瞬時にコントロールしてくる。
彼のプライベート試写室やフィルムアーカイブを見学させてもらったり、高揚しながら、お礼を言って外にでると、ドアの向こうでは、何もなかったように、また本に戻っているゴダールがいた。ドア脇の表札には、名前もなにもなく、一単語だけ。『peripheria』と。フランス語で辺境や、周縁という意味の単語だった。19年経った今でも、あの日のわずか20分くらいの思い出が蘇る。合唱。
(2022年9月14日 Instagramより)