戦後、東西に分断されていたドイツが統一された1990年まで、西ドイツの首都であったボンはベートーヴェン生誕の地として有名だが、少しでも鉱物に携わる者にとっては、ボンといえばボン大学の地球科学科、そして「クランツ総本山の地」なのではないだろうか。
鉱物結晶の木製模型を世界で初めて製作したことで知られるクランツ商会は、1833年、父親の営んでいた薬局を引き継いだ後に鉱物と地質学にその情熱を傾けることになった若きアダム・アウグスト・クランツ(A・A・クランツ)によってフライブルクで誕生。その4年後にベルリンへ移り、1850年からはボンに拠点を構える。
1872年のA・A・クランツの死後、義理の息子のテオドール・ホフマンが会社を継ぎ、1888年にはA・A・クランツの甥で鉱物学者のフリードリッヒ・クランツ(F・クランツ)が経営を引き継いだ。そしてクランツ商会を世界に知らしめることになった木製の結晶模型セットを作り、その豊富な知識と高い経営センスを有意義に発揮したのだ。特に結晶学に強い興味を持っていたF・クランツによる木製の鉱物結晶模型のコレクションは最大928個にまで及んだ。
クランツ商会は鉱物とその模型や化石標本のみならず、近代は研究やフィールドワークのための道具や教育資材、鉱物の展示用具なども取り揃え、現在もボンで営まれている。現社長はクランツ一族のウルスラ・クランツ氏で、その子供たちもビジネスに携わる、長きにわたり受け継がれてきたファミリービジネスなのだ。
いざ、結晶模型の聖地、クランツ商会へ潜入
その貴重なクランツ商会の歴史的なアーカイブを拝見すべく、ボン中央駅から電車で10分ほどの距離にある本社を訪れると、ウルスラ氏、ウルスラ氏の息子で広報のセバスチャン氏と娘で古生物学者のコーネリア氏が迎え入れてくれた。
部屋に着くなり早速ウルスラ氏が見せてくれた歴史を感じさせる書類の数々。1833年にA・A・クランツによって書かれたクランツ商会の根源といえるビジネスの企画書から大学の講義ノート、F・クランツの論文、かの博物学者のフンボルトから届いたクランツ商会で製作してほしい模型を要請する手紙など、まるで鉱物学の原点の証明書のようなものばかりだ。
驚かされたのはそれらが裸の状態で保管されていること。直接触れることもはばかられるような内容にもかかわらず、クランツ親子は全く気にせず自由に手に取ってもらって構わない、と笑いながら伝えてくれた。朗らかで気さくな一家の印象に再び驚かされた。
時代の変化に伴い、今ではもちろんオンラインでの物販も行っているが、ここには実際の店舗があり誰でも訪れることができる。我々の今回の目的はその地下にあるクランツ商会のアーカイブ室を訪れ、現在も販売されている木製の鉱物結晶模型のオリジナルを見せてもらうことだ。
このアーカイブ室は年に1度のオープンデー以外は基本的に開放されることはなく、普段は社員の重要な仕事場である。階段を下りてそのドアが開けられると、かなりの広さのスペースに、古い木製のシェルフや数々の鉱物が陳列されたディスプレイケースが部屋の隅々まで並べられている光景が目に飛び込んできた。そして目当てのオリジナルの結晶模型は木製のものだけでなく、実験的に製作された紙製やガラス製のものなど、知られざる模型が次々と!
最も新しいもので1950年代から60年代に作られたという、いずれもかなり古いものでありながら、ディスプレイケースに保管されているわけでもなく、複数の箱に分けられて積まれている状態。無造作な保管環境だが、どれも製作された当時のコンディションを保っていることが、模型の品質の高さを物語っている。
木製だけじゃない、未知の結晶模型の宝庫!
木製の模型は計928個が作られているためその数は膨大で、中には側面に手書きで、異なる表面の角度が色別に記されたものも。
ちなみに、当時の木材は軽量かつ稠密な梨の木が主だったが、近年は原価が高騰し模型セットがとても購入できない値段になってしまうため、現在はアルダー(ハンノキ)が使われているそうだ。木製模型は今も職人によって作られており、F・クランツの時代に模型製作をしていた職人の末裔(ご老人)が担っているという事実に感銘を受けた。
一方、ガラス製の模型は透明という特性を生かし、内側に色分けされた糸で鉱物結晶の軸が表されている。研究用素材として興味深く役立つものであることは想像に難くない。また紙製の模型は見た目よりも頑丈な作りで、側面にそれぞれ違ったトーンのパステルカラーが施されている。
古さを感じさせず、どれも美しいオーナメントさながらのクオリティだ。これらがいつ頃作られたものなのか、残念ながらわからないとのことだったが、実際に手に取ってみると製作に際する作り手の丁寧さと綿密さが伝わってきた。
このアーカイブ室での撮影時は、クランツ商会の平日の就労時間でもあったため、ウルスラ氏らは常時我々に付き合える状況になく、必要ならいつでも呼んでね、と言い我々をこの貴重なアーカイブ室に残してくれた。
恐らく200年近い年月を経た古い顕微鏡や研磨機、コレクターや研究者たちにとって重要な鉱物が保管された、歴史を感じさせる引き出しやシェルフを覗かせてもらい、まるで過去へタイムスリップしたかのような気分を味わった。その全体量は一日あっても見きれないほどだ。
いくつもの時代を超えて受け継がれてきた地球科学の源に囲まれ、そこにいた時間は現実世界のそれとは全く違ったものだった。出発ぎりぎりの時間まで撮影させてもらい、アーカイブ室を出て地上に上がると再びいつもの世界に引き戻されたような、不思議な感覚とともにボンを後にした。