グローバル化していくビジネスにおいて、国際情勢を読み解くスキルは必須。ここでは、日本のビジネスにも影響の大きそうな、世界の主なリスクを挙げ、その概要と今後の見通しを学んでみる。教えてくれるのは人気コミック『紛争でしたら八田まで』の監修を手がける川口貴久さんが所属する東京海上ディーアールの方々です。
脱アンチテーゼ化する反ESG
「もうESGという言葉は使わない」。世界最大の資産運用会社ブラックロックのCEO・ラリー・フィンク氏の2023年6月の発言だ。同氏は、株主の立場から企業に対し脱炭素を求める書簡や意見書を送るなどESG投資を牽引してきた人物である。そんな同氏がこのような発言に至ったのは一体なぜなのだろうか。
世界的な潮流となっているESGだが、ここ数年、米国を中心に逆風にも晒されている。その象徴ともいえるのが2021年に出版された書籍“Woke, Inc.: Inside Corporate America's Social Justice Scam”(日本訳未刊行)だ。
起業家であり自身でもファンドを運営するビベク・ラマスワミ氏が執筆した同書では、従前より「ウォッシュ」として批判されてきた、ESG格付等の向上を狙って小奇麗な開示は行う一方で海外への利益移転を駆使して租税回避しているような企業への批判が展開されている。
同書の出版以降、「社会正義に目覚めた」等という意味合いで(ポジティブに)使用されていた“Woke”が「急進的、欺瞞的な価値観の押しつけ」といった否定的な文脈に再定義され、“Woke Capitalism”(「意識高い系資本主義」と一部では訳されている)という言葉がESG批判の際に用いられるようになった。
反ESGは政治にも波及している。米国ではESG投資を制限する州法制定や、化石燃料産業をボイコットしている金融機関等との取引制限等に動く州が相次いでいるのだ。その中心となっているのは共和党支持州(レッドステート)だ。
共和党は反ESGと保守的な価値観を共有する上に、レッドステートにはテキサス州をはじめ化石燃料産業の盛んな地域が多い。共和党予備選でトランプに次ぐ2番手につけるロン・デサンティス知事率いるフロリダ州では2023年7月に包括的な反ESG法が施行する等、その勢いは加速している。
学術的な観点からの批判もある。2023年1月、ロンドンビジネススクールのアレックス・エドマンズ教授が発表した論文“the end of ESG”は、タイトルこそ煽情的ではあるものの現時点でのESGの限界を冷静に主張している。
当論文の主張は、企業価値を評価する際にESGのみを特別視すべきではないという点にある。すなわち、他の無形資産(企業文化・従業員満足度・顧客ロイヤリティ)と同様に中長期的な企業価値向上のドライバの一つとして扱うべきだというものだ。
ESG投資の牽引者を冒頭の発言に至らしめたのは、これらの逆風である。2022年以降、反ESGのモメンタムはウクライナ戦争によるエネルギー価格高騰等によって加速し、政治・アカデミア双方で既にアンチテーゼではなくなった感がある。
今後も2024年の米国・大統領選等をはじめとする政局はもちろん(ビベク・ラマスワミ氏は共和党予備選で3番手につける)、ESG投資や非財務情報開示の動向等の企業行動への影響も大きく、動向を注視する必要がある。(柴田慎士/東京海上ディーアール)