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世界の地政学&国際関係リスク Vol.5「タイ『民政移管』の虚実」

特集「大人になっても学びたい!」に掲載した八田百合による特別授業「地政学から近未来を予測するリスク管理スキル」の拡大版!

世界中あらゆる地域で起こる紛争やその火種の中から、ビジネスに大きな影響を及ぼすリスクを10個ピックアップ。本誌では紹介しきれなかった、これらのリスクの概要と今後の見通しについて解説します。

text: BRUTUS

グローバル化していくビジネスにおいて、国際情勢を読み解くスキルは必須。ここでは、日本のビジネスにも影響の大きそうな、世界の主なリスクを挙げ、その概要と今後の見通しを学んでみる。教えてくれるのは人気コミック『紛争でしたら八田まで』の監修を手がける川口貴久さんが所属する東京海上ディーアールの方々です。

タイ「民政移管」の虚実

タイでは、2014年の軍事クーデター以降、軍事政権が敷かれていたが、19年の下院総選挙で民政移管が行われた。プラユット前首相率いる「文民」政権が発足したものの、実質的に民政移管前の軍政と変わらず、国王を頂点とした政治体制が続いていた。

20年代に入ると、当該政治体制に不満を持つ学生団体や活動家らが「王政改革」を公然と唱えるようになった。こうした状況下で、23年5月に実施された総選挙では、政治改革に焦点が当てられた。「王政改革」を公約に掲げた反軍政派の野党「前進党」が大躍進し、第1党となった。

14年クーデターで失脚したタクシン元首相派の「タイ貢献党」は第1党から第2党に転落したが、議席数は増やした。野党が圧勝し、与党であった親軍政派が大敗する結果となった。

民意の圧倒的な反軍政支持にもかかわらず、新しい首相選出と政権発足は容易ではなかった。首相候補であった前進党のピタ党首は、タイ貢献党と連立政権の樹立を目指したが、第1回首相指名選挙で王室支持派が大半を占める上院議員からの支持を得られなかった。

さらに、立候補時のメディア企業株の保有問題を巡って国会議員資格の一時停止を命じられ、国会で行われた首相立候補の是非を問う投票で過半数が反対票を投じたため、同党首の首相選出は極めて困難となった。

新政権の早期発足を優先させた反軍政派は、タイ貢献党を中心とした新政権の樹立を目指した。同党は前進党との連立政権から離脱、第3党の与党「タイ名誉党」と組むことで上院議員からの支持獲得を試みた。

さらに、親軍政派の「国民国家の力党」や「団結国家建設党」も連立政権に参加し、タイ貢献党のセーター氏が第2回首相指名選挙で第30代首相に選出され、新政権が正式に発足した。なお、前進党は親軍政派を含む連立政権は受け入れられないとし、セーター氏を支持しなかった。

新政権発足に当たっては、タイ貢献党と親軍政派との間で取引があった可能性が指摘されている。前進党からの首相選出を阻止したかった親軍政派は、経済政策を重視していたタイ貢献党に同党からの首相選出への協力とタクシン元首相の帰国容認を持ちかけ、連立政権から前進党を排除することに成功した。

一方、タイ貢献党は親軍政派と手を組まないと断言していたため、政党内や支持者から反発の声が上がっている。また、連立政権内で対立が起きた場合、親軍政派の与党3党を合わせた議席数はタイ貢献党の議席数を上回るため、タイ貢献党が排除される可能性も否定できない。

こうした状況から、文民野党の圧勝にもかかわらず、政権運営に対する親軍政派の影響は小さくないとみられ、現状では「民政移管」が実現したとは言い難い。(寺田礼子/東京海上ディーアール)