静穏な空気に満たされる、中目黒の隠れ家的茶房へ
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賑やかな山手通りから一本入った住宅街に佇む〈岩茶房〉。ガラスの引き戸を開けて店に足を踏み入れると、ふと空気が変わったことに気づく。静かだが明るく穏やかで、開かれた気配とでもいうか。そして傍らにはのんびりと寛ぐ猫の姿。良い“気”の流れや看板猫は、不思議とよき茶館が持つ共通点でもある。
1988年に誕生した〈岩茶房〉は、日本に数ある中国茶館の中でも異彩を放つ存在だ。創業当初から扱うのは中国福建省・武夷山で作られる「岩茶」だけ(*)。極めて生産量が少なくただでさえ入手困難なお茶だが、こちらの茶葉は「中国国家級非物質文化遺産伝承人」なる日本の人間国宝にあたる茶師・劉宝順さんが手がけるもの。しかも劉さんの茶葉は世界中でもこの店でしか味わえないと言う。これも創業時から毎年、主宰の佐野典代さんが劉さんの元を訪ね、37年にわたり培ってきた信頼関係の賜物だ。
武夷山での茶酔体験が茶の道へ進むきっかけに
茶酔とは広義ではお茶で酔う感覚のことだが、佐野さん曰く、中でも岩茶がもたらす茶酔は特別だという。
実は編集者だった佐野さんがお茶という未知の世界へ身を転じたのも、この“茶酔(チァーズィ)体験”がきっかけだったのだ。取材旅行で世界を巡っていた1984年の春、初めて武夷山を訪れたときのこと。まだ中国茶について何の知識もなかった頃だ。
「武夷山の山荘で岩茶を4種類飲ませてもらったんです。不思議な味だなあ、という印象で、お茶の説明を聞いてもさっぱり分からないまま、宿への帰りに真っ暗な夜道を歩いていたら、体が突然、宙にふわりと浮いたような浮遊感覚があって。体は風のように軽く、頭はお酒酔いとは違ってスッキリと醒めている。翌朝、お茶を淹れてくれた山荘の総経理(社長)・王さんに聞いたら、“それが茶酔ですよ”って」
この“酔えるお茶”を日本の人にも紹介したいと、佐野さんはサロンを開こうと思い立つ。いったんは東京で忙しい日々を過ごし、1987年の秋の夜、これまた不可思議な体験により再び茶の道に導かれていく。
「我ながら理論的にも理性的にも説明できないのだけど、夜中に寝ていると突然声が聞こえてね、“お茶がある”と。たぶん1984年に飲んだあのお茶のことだと思い当たって、再び中国に行き、武夷山で6キロの茶葉を分けてもらったの。それで翌年の1月にお店を開いたんです。世間では“人生は自分で切り拓くもの”なんてよく言うけど、時には自分の考えを外して流れに任せてみると、思いがけない道が拓かれたりするものね(笑)」
以来、〈岩茶房〉は昭和から令和の時代を繋ぐ稀有な老舗サロンとして、茶酔の愉しみを発信し続けているのだ。
本物の岩茶の証し、「岩韵」とは?
さて、岩茶の故郷、中国福建省北部に位置する武夷山は、地殻変動によって出現した135の奇峰奇岩が連なり、まるで水墨画のような景色が広がる名勝地。
ちなみに中国茶は製法の違いから緑茶・白茶・黄茶・青茶(烏龍茶)・紅茶・黒茶の6つに分かれ、岩茶は烏龍茶の部類。この世界自然文化遺産にも登録される美しい郷で烏龍茶が作られ始めたのは、明の時代(14世紀)からと言われている。
茶樹はこの岩肌に深く根を張って成長するため、太古の岩が持つ様々なミネラルが葉に蓄えられ、複雑で深みのある味と香りが形成される。これを「岩韵(がんいん)」と呼び、この岩韵がなければ本物を意味する「正岩茶」とは認められないのだとか。こうした岩茶特有の成分が、単なるカフェイン酔いとは異なる作用をもたらすらしい。
「お茶のテアニンやカテキン、カフェインなど基本的な成分のほか、岩を形成しているカルシウムやナトリウム、カリウム、マグネシウム、亜鉛……といったミネラルがふんだんに含まれているから、味わいが複雑なんです。コーヒーやその他のお茶のカフェインは交感神経を刺激しますが、茶酔はこうした成分が副交感神経に働きかけるのかもしれないですね。だから単なる興奮作用ではなく、頭の中はあくまでクリアで、フィジカルをふわっとリラックスさせてくれる。まぁ体験してみてください」
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そう促され、スモモ大の小さな茶壺(チャフー)で茶を淹れてみる。岩茶の伝統的な製法は炭火焙(炭火焙煎)で、液色は深く澄んだ琥珀色。薄暮の空を真っ赤に染める夕日のようだ。その琥珀の液色に見惚れながら小さな茶杯で啜ると、かすかにミネラル由来の硬質さを感じ、甘・苦・酸と複雑で豊潤な味わいが口の中に広がっていく。
香りは時には蘭のように甘く魅惑的。茶葉は一煎ごとに刻々と色と味わいの表情を変え、三煎、四煎淹れても全く色褪せることなく永遠に飲めるのではと思うほど。その生命力の強さに圧倒されそうだ。
そしていつしかお腹の真ん中がポカポカと温まり、ふんわりとした高揚感に包まれる。そう、茶酔だ。頭は冴えているけど気持ちはゆったりと寛いでいて、気のおけない友人がいたならさぞや話が弾むだろう、という感覚なのだ。
茶と会話を愛した詩仙たちが中国茶文化の原点に?
佐野さんによれば、そもそも皇帝に献上するものだったお茶が、やがて日常的に飲む習慣が生まれたのは唐の時代、8世紀の頃からだという。それも地方に左遷された志ある文人政治家たちによって発展したというエピソードが面白い。
唐代は李白や杜甫、白居易といった漢詩の巨人たちが茶を囲み、茶聖・陸羽が世界で最初の茶の専門書『茶経』を記した時代。
「科挙(官僚登用試験)の制度が、献上茶とは違う茶の文化をつくったといえると思います。体制に異を唱える優秀な文士役人たちが権力者によって地方に飛ばされ、そこで好きなお茶を飲みながら詩を詠み、土地の人々と交流し、茶の文化を広めていったと私は考えています」
陸羽が『茶経』でも記しているように、お茶は道具にこだわる必要はなく、あくまで愉しく飲めればそれでいい、という精神も、現在に続く中国茶の味わい方の基盤になっていると感じるのだ。
最後にもう一つ、〈岩茶房〉は単なる中国茶喫茶でなく、人々が集う“日中文化交流サロン”として開いたことも大切なポイント。利潤を得るために回転率を優先し、“90分制”等の時間制限をしていたら残念ながら真の茶酔は体験できない。「仕事で疲れた人たちがいっとき憩えるような場所」を目指したからこそ、1300年前の詩仙たちも味わった感覚を共有することができるのだろう。
「岩茶ってね、自分の心境や肉体的な状況で味が違って感じるんです。おいしければその時の己の体の声に合っているからだし、逆であれば風邪を引いたり疲れていたり、味を受け止める機能が低下している証拠。常に体調や精神のアップダウンを教えてくれるんです。有名占い師に見てもらうより当たるわよ(笑)。それが飽き性の私が37年間もお茶に付き合ってきた理由かもしれないわね」
……と快活に笑う佐野さんは、今年でなんと傘寿を迎えられる。その闊達で瞬発力あふれる語り口を聞いていると、お茶の効能を確信せずにはいられない。そしてコーヒーとも、お酒とも違う茶酔(チァーズィ)の愉しみは、繁雑さに翻弄される日々をしばしリセットするために、今の時代こそ必要なのかも、なんて思うのだ。