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藤森照信の小さな建築は、 なぜこれほど愛されるのか?

いつの時代の何にも似ていないのに、なぜか懐かしい。宇宙から飛来してきたと言われれば、そんな気もする。建築史家にして建築家の藤森照信さんが、「てるぼ」と呼ばれた少年時代を過ごしたふるさとに、続々建設している小さな建築。それはまさに藤森さんそのものなのだ。

Photo: Tetsuya Ito / Text: Yuka Sano

誰のなかにも眠っている
建設DNAを呼び覚ます。

まるでおとぎ話に出てくるような建築群が、長野県茅野市の畑のなかにある。その名も〈高過庵〉に〈低過庵〉、〈空飛ぶ泥舟〉。

まさかのようなネーミングだが、まさかなのは、これらの建築が、おとぎ話のなかではなく現実に存在していることだ。実物を目の前にすると、そのことにびっくりして、嬉しくなって、なんだか笑ってしまう。作者は建築史家にして建築家の藤森照信さん。

建築がある一帯は高部という集落で、藤森さんの生まれ故郷だ。御柱祭で知られる諏訪大社上社の、本宮と前宮の中間あたりに位置する。遠く八ヶ岳を望む小さな集落で、3つの建築は、里山を背にした藤森家の畑のなかにある。

長野県〈高過庵〉外観
竣工して間もない頃、路上観察学会の仲間を招待。4時間ほどここで過ごしたことがある。一人でぼーっと過ごすことも。藤森さんいわく「勤労意欲を失わせる力がある」。

誰にも渡したくない。
そう思った自分にびっくり。

そもそも近代建築史を専門とする歴史家である藤森さんが、建築の設計をするようになったのは、この畑の地続きにある〈茅野市神長官守矢史料館〉がきっかけだった。

諏訪大社の祭祀を司(つかさど)る守矢家の古文書を収蔵する史料館をつくるにあたり、茅野市から相談を受けた。当初は自分で設計をするつもりはなかったが、では誰になら設計を任せられるかと考えたときに、モダンデザインの申し子である友人知人の建築家には頼めない。

守矢家の歴史の古さを考えたら、モダニズムだけは避けなければ神様にも失礼にあたるし、自分も嫌だと思ったのだという。結局、この土地に生まれ育った自分がやるしかないと決意。そこから悩みに悩みぬいて誕生したのが、〈茅野市神長官守矢史料館〉である。

いつの時代の何の建物にも似ていないのに、なぜか懐かしい。世界中のどんな国にもないけれど、どこの国にあってもしっくりくるに違いない。はたまた宇宙から飛来してきたと言われれば、そんな気もする。その後の藤森建築に共通したユニバース感は、ここから出発したのだった。

それからしばらくして、茶室の設計を依頼されたときのこと。完成間近になって、藤森さんのなかにそれまで感じたことのない感情が湧き上がる。この建築を誰にも渡したくない──そう思ってしまった。

「びっくりしましたよ。それまで住宅の設計をしていても、そんなこと思ったことなかったから。やっぱり小さい建築って、細部まで全部自分で手がかけられるから愛着が湧いてしまう。服みたいな、皮膚に近い感覚になるんだろうね」

小さい建築をつくるたびに、そんなやっかいな気持ちを抱えるわけにはいかない。解消するためには、一度、自分のための茶室をつくるしかないと思うに至り、実家の畑のなかにつくったのが〈高過庵〉である。

あくまで自分のためにつくった〈高過庵〉はしかし、その長い脚で一人歩きをして、海外でも大人気の建築に。ベルギーから旅行者がバスを仕立てて突然見学に来たこともあった。茶室の設計の依頼も増えた。

「茶室がというより、やはり小さい建築には、原始の、建築の原型みたいなところがあるから魅力的なんだと思う」。

藤森さんが小さい建築を茶室としてつくるのは、堂々と室内で火をおこせるから、という理由もある。そう言われて眺めると、〈高過庵〉〈低過庵〉〈空飛ぶ泥舟〉いずれも、ちゃんと火をおこすコーナーがつくってある。そして、いつまでもそこに籠もっていたくなる、独特の居心地のよさがそれぞれにある。洞窟のような、竪穴式住居のような。乗ったことはないけれど、宇宙船のような。

長野県〈空飛泥舟〉外観
泥舟の窓から顔を出す藤森さんは、もはや茅野の妖精てるぼと呼びたい風情。こちらも専用のはしごを掛けて上る。写真は、中に入ってからはしごを外した状態で撮影。

近所の幼馴染みと一緒に
工作の延長みたいにつくる。

それは、子供の頃に憧れた秘密基地のトキメキにも似ている。あたりの野山を駆け巡っていた少年時代、友達から「てるぼ」と呼ばれていた藤森さん。照坊がなまって「てるぼ」。いまでもあだ名で呼び合う近所の幼馴染みたちの手も借りて、「工作の延長みたいな感じ」でこれらの建築をつくっている。

藤森さんの場合、設計と施工は一緒のもので、設計だけではつまらない。自分もつくってなんぼの設計なのである。そこにこそ、藤森建築の美学の真髄がある。もちろん構造に関わる施工はプロに頼むが、材料の調達や表面の仕上げの部分は、自分も含めた素人が参加できる余地を設計の段階から盛り込んでおく。使う材木を山に切りに行ったり、銅板を曲げて屋根材をつくったり。

〈空飛ぶ泥舟〉と〈低過庵〉は、茅野市が企画して市民参加のワークショップも開いた。大人から子供まで、たくさんの人が参加した。去年完成したばかりの〈高部公民館〉でも、高部の人が外壁の焼き杉を焼いたり、照明器具を制作したりした。

「茅野は昔から農村地帯だから、みんな基本的に建設技術が身についてる。何をしたら危ないかもわかってるし、何をやってもうまいし呑み込みが早い」のだそうだ。

これまで各地につくった建築も、建て主や仲間に声をかけ一緒につくってきた。その都度、大いに盛り上がる。「建設現場っていろんな仕事があるから、誰でも何かしら関われるし、自分がいま全体のなかで何をやってるか一目でわかるから、面白いんだよ」と藤森さん。

かつて身近にある山の木を切って、大人も子供も総出で住む場所をつくっていた頃の記憶が蘇るみたいに、誰のなかにも眠っている建設DNAを、呼び覚ましてくれる何かが「てるぼ」の建築にはあるらしい。

2022年春には、東京五輪に併せて開催された『パビリオン・トウキョウ2021』のためにつくった〈茶室 五庵〉が、高部の畑の一角に再制作される。仲間がまた一つ増える予定だ。