体と心が喜ぶものを、おいしく食べて健康になろう。そう書かれた小さな紙が、店のコルクボードの隅に貼ってある。ここでいう「体と心が喜ぶもの」とはもちろん、果物のこと。
それは、四六時中果物のことを考えているというフクナガのマスター、西村誠一郎さんが、フルーツパーラーという仕事を通じて一番伝えたいことでもある。
オープンは1973年だから今年(2016年時点)で43年。30席ほどのこぢんまりとした店の内装は、当時から大きくは変わっていない。
フルーツパフェも43年間作り続けている看板メニュー。なかでも多くの人がお目当てで訪れるのが、果物の旬を追った「季節のおすすめパフェ」だ。初夏はアメリカンチェリー、盛夏に桃、プラムと続き、秋口からは、いちじく、ぶどう、洋なし、柿、そして春のイチゴでひとまわり。
「大事なのは季節、露地、産地。基本的なことだけれど、果物は旬のものを食べるのが一番おいしいに決まってる。ハウス栽培ではなく、あくまでも露地物を選ぶのは、その方が果物自体にパワーがあるから。今は技術が進み寒い北海道でもマンゴーができたりするけど、やっぱり産地には産地たる理由があって、その果物が生まれた気候風土に育まれたものが一番いい。無理したものって、素直じゃない」
フルーツそのものの選び方はというと、「これも基本だけど、色、香り、甘さ、そして酸っぱさ。果物は酸味がなくちゃおいしくない。そのすべてを引き出して作るのが、パフェにも使うフクナガのシャーベットです」。
超一級品の果物を皮ごと煮て作る、極上のシャーベット。卵白入りのソルベとは全く異なる、純粋さとフレッシュさ。「果物を丸かじりするのと同じように、どう作れば全体でおいしく食べてもらえるか」を考え、生まれたのだという。
作り方は至ってシンプル。でも、シンプルであることと“簡単”であることは決して同じではなく、素材を見極める目も問われるし、着色料も香料も一切なしだから、ごまかしも利かない。そして何より、このシャーベット、驚くほど手間がかかる。
例えばアメリカンチェリーの場合。ペティナイフ片手に一つ一つ手で種を抜き、鍋で煮て、アクをとってミキサーにかけ、3日半かけて冷凍庫で固める。
営業日4日分で約80kgのシャーベットが必要になるのだが、粒にすると、その数8000粒!種取り機を使わないのは、機械を使うと、種の回りのおいしいところまで抜け落ちてしまうからなのだという。
「そうしないとおいしくならないんだから、仕方ない。果物は一つとして同じものはないんです。同じ品種の、同じ畑のものでも個体差がある。もっと言えば、同じ個体でも、頭とお尻では甘さが違う。それを集めて、まんべんなく“本来のおいしさ”にするのが俺の仕事だと思ってます」
自ら食べて育った昭和の果物。
その“強い味”を伝えたい。
西村さんの実家は代々果物屋を営んできた。ひいおじいさんは神田青果市場の問屋組合頭取を務めた西村吉兵衛。おじいさんは、戦前に台湾バナナの輸入に尽力した人で、小さい頃から西村さんの生活は果物とともにあった。
「子供の頃はただ旨いって食べてるだけだったけど、提供する立場になって、本当のおいしさを“伝えたい”と思うようになった。昭和の果物の“強い味”が自分の中にある。うちは工場もないし、ソースでもジャムでも作れるものは全部ここで自作するんだけど、そうやっているうちに、果物とも会話ができるようになった。今は切り口を触れば、大体の糖度がわかるよ」
店を始めたのは23歳。最初から「フルーツパーラー」だが、「しばらくはまるで喫茶店。お客さんも、モーニングに卵はつくの?みたいな感じだったな」と振り返る。
それが変わってきたのは、四谷界隈に集まっていた劇団やダンススクールの関係者がここに集い始めたこと。
「健康管理に厳しく自然食志向の人が多かった。砂糖は太るから嫌だけど、疲れを取りたいから果物は食べたい。メロンのかき氷といっても、緑色のシロップなんかじゃなくて、当時から本物のメロンを搾ってのせたり。
それは全部、お客さんのリクエストに応えたもの。うちのメニューは、お客さんの“これを、こう食べたい”の積み重ねなんです」
そして転機が訪れる。
20年前のこと。西村さんはくも膜下出血で倒れ、治っても半身不随との宣告を受ける。そこから3ヵ月ほどで劇的に回復。
「復帰してメニューも絞ったし、果物の機能性、どの成分がどう体にいいかってことへの意識もより強くなった。俺は果物に助けられたと思っていて、俺も助かったみたいに、果物食べて元気になってほしい。だからなおさら、見た目のデコレーションより、本物の味。
メロンパフェなら、メロンそのものがパフェに化けただけ。余計なものは入れない。そこを信じて来てくれるお客さんとの関係が、40年経って、やっと築けた気がしています」