1枚の写真は、過去に戻るスイッチ
写真の力は偉大だ。編集者として働いていると、心を動かされる写真に出合う機会が少なくない。撮影する現場に一緒にいて同じものを見ているのに、後日フォトグラファーから送られてくる数枚に対して新鮮な感動を覚えるときがある。
シャッターを切った彼や彼女でないと捉えきれない瞬間や角度があるのだろう。偉大な写真は、写真家・フォトグラファーの卓抜な感性やテクニックによって生み出されているのだ。
今回、長年一緒に仕事をしているフォトグラファーに話を聞いた。伊藤徹也さんだ。彼とは、仕事のみならず、プライベートでも時間を過ごすことがしばしば。近況の報告、愚痴やとりとめのない話を肴に、どちらかが寝るまで(大概、僕だ)酒を飲む。
それだけではない。僕の実家は蕎麦屋を営んでいたのだが、毎年大晦日には仲間と一緒に足を運んでくれた。フォトグラファーの伊藤さんは、「たくさん飲む伊藤さん」として両親にもよく知られる存在だった。父が身体を悪くして、店を閉める日にはカメラを片手に来店し、“最後の日”を撮影してくれた。伊藤さんが贈るプリント写真を手にした両親の喜ぶ顔は、忘れられない。
今からおよそ3年前、その父と母が相次いで他界した。急すぎる別れに、心にぽっかりと穴が開いた状態で、実家のキッチンでひとり酒を飲んでいると、目に入ってきたのは壁に掛かったあの日の写真。普段とは違って、母の肩を父が抱き、満面の笑みで店前に立つふたり。
撮影したその場所には僕はいなかったのだが、きっと父は「なんか恥ずかしいなぁ」なんて言っていただろう。「ホントやな。お父さん、こんなことしないもんな」って母は笑っていたのだと思う。酒を飲んだ頭の中で、両親は動き始めた。
インタビューの中で、伊藤さんは「物語の途中を撮るのが好きなのかも知れない」と語った。実家の壁の1枚は、まさに途中。あの日の途中。伊藤さんが優しく笑いながらカメラを下げると、きっと両親は笑顔でお辞儀をして、賑やかに店の中に入っていく。
「プロに撮られるなんて、すごくいい記念になったわねぇ!」なんて言いながら、店内で母は伊藤さんに酒や食事を勧めたのかも知れない。僕にとっては、懐かしくて愛おしい風景が解像度高く広がっていく。
撮る人にとっても、観る人にとっても、感動や興奮を味わわせてくれる写真。改めて考えてみるとまさにタイトル通り、「写真はもっと楽しい」。僕がその後に付け加えるなら、そして時に切ない、だ。