京都の余白は、あちこちに
BRUTUS4年ぶりの京都特集、テーマは「京都の余白」です。2021年に作られた「京都101のこと」が、京都の賑やかな魅力をお届けしていたのに対し、今回は空間やそのあり方が、ゆったりと、豊かな時間を過ごせる場所を厳選しました。「京都には行きたいけど、インバウンドで混んでいるでしょう?」と躊躇していた方達に、特に読んでいただきたい1冊です。
巻頭は、いまの京都を代表する方々が営む、唯一無二の時間を過ごせる12軒。そして、その店主たちが自分でもそんな時間を過ごす場所を、お店や寺社仏閣や自然まで幅広く紹介していただきました。
また、名和晃平さんや原摩利彦さんなど、京都に縁のあるアーティスト、クリエイター達が余白を感じて過ごす場所を聞き、作品や考え方の源の一角をなす景色や時間を垣間見せていただきました。そのほか、食の達人たちの考える「余白」を感じるご飯処を紹介したり、禅宗の僧侶に無心になれる古刹について話を伺ったりしています。
「余白」という言葉の内包する意味が幅広く、解釈も人それぞれなので、みなさんがどんなところに「余白」を見出しているのかも、注目していただきたいポイントです。
かくいう私が「京都の余白」を実感したのは、上洛した翌日でした。平日午後イチで話題の〈ザコトラ商店〉を訪れた際、現役世代の昼飲みハシゴ酒の達人たちに会いました。いつも混んでいる酒場には、余白はなさそう、と思っていたのですが、お店の人たちも飲んでいる人たちも太陽の下で楽しそうだし何だか余裕が感じられ「明るい時間から店が開いていて、飲める」ことこそが、京都の余白だな、と感じました。
あくまで通りすがりの私の仮説ですが、京都に早い時間から開いているお酒を出すお店が多い理由は、つまるところ個人で営む飲食店の数が多いからなのではないかと。個人店が多いから時間の自由がきくし、出勤前にお馴染みの店に顔を出していたりして、全体的にまわっているのではないか。子育てで夜出られないから子供が学校に行っているうちに飲む、という方も。観光客ももちろん受け入れてくれるし、隣に座った常連さんや店の方と話が弾んだ暁には、次に行くべきお店を教えてもらえたりもできる。京都には飲み方にすら包容力がある、その感じをぜひご紹介したいという思いから、「京都のゆとりは昼飲みにあり。」という企画を作りました。
読者の皆さんも、次に京都にいらっしゃった時は、ぜひご自身の「京都の余白」を探してみてください。
