これが編集後記ってやつか!
表紙を開いて特集の扉に進むと、見開きで緑豊かな渓流の写真が広がっている。イワナを狙う玉井太朗さんが釣りをしている写真である。僕は取材したフォトグラファーであるから、この写真を撮ったのは自分であり、普段であれば良い写真が撮れたと満足して頁を次に進めるのだろう。だけど今回ばかりは左端に記されているクレジットを見てしばし眺めてしまうのである。そこには「編集 平野太呂 村岡俊也」と書いてあるのだ。
僕が通っていた頃の美術大学には「就職活動なんてだせぇ」という雰囲気がまだあった。美術なんてものは4年やそこいら勉強して体得できるもんじゃない、一生をかけて、もしくは棒に振ってようやく分かるものなんじゃないか。今にして思えばそんなこと全然ないのだが、どこか痩せ我慢に似たチキンレースがそこにはあった気がする。大学でカッコ付きの「美術としての写真」を勉強してきた僕は、卒業して写真で仕事をするなんて事は考えられず、ぷらぷらしていた。今にして思えば、ただ写真を仕事にすることに自信がなかっただけなのだろう。
それでも仕事をしなくては食ってはいけない。雑誌や本という形態が好きだという気持ちだけで、編集者がいいのではないだろうかと、卒業してから就職活動をすることとなった。遅まきながら山と渓谷社と編集プロダクションの面接を受けるがあっけなく不採用。そりゃそうだよね。美大で写真の勉強をしてました、ではなかなかね。やはり仕方なく(?)写真を仕事にするしかないのかなと、講談社の写真スタジオに空きを見つけアシスタントとして採用してもらったのだ。
なので今回、編集としてクレジットされた自分の名前を見つけてこんな昔話を思い出してしまった。そして思いのほか嬉しい。普段の撮影仕事以上に雑誌作りに関われた充足感があるし、いつもの自分の仕事が雑誌作りにおいてほんの一部分だったんだなと気付かされた。編集作業は細かいことの積み重ね、撮影業務よりうんと手離れが悪い。もちろん、僕はゲスト的な編集であって、ただの言い出しっぺに近い。ブルータス編集部の本職編集者たち、そして釣友であり盟友の村岡がいなかったらこの号は全く完成しなかった。今回彼らから学んだことは、今後の撮影仕事にも大いに役に立つと思う。
さて、釣りである。釣りにもいろいろある。魚もいろいろ、釣り人もいろんな人がいる。ブルータスは一般誌なので、偏りなく扱ったつもりではあるが、到底全ての釣りを網羅はできない。興味のある釣りが紹介されていない場合はどうかご勘弁願いたい。ただ、魚種や釣り方は違えど、釣りに行く前日のはやる気持ち、自然の中に溶けていく感覚、水の中の野生に触れた瞬間、そんな気持ちはどの釣りも同じであり、この号にも通底していると願っている。
