Watch

Watch

見る

世界の日常をメタ視点で描く映画監督たち。グレタ・ガーウィグ、キム・ボラ、ミア・ハンセン=ラヴ

今まで通りの手法でブロックバスターのような大作を作り続けるだけでは、アーティスティックなムービーをストイックに作るだけでは、大きな波に簡単にさらわれてしまう現代。何を創り、何を訴え、そして時代にどのように爪痕を残すのか。時代と闘いながらマスターピースを作ってきた映画監督と、その作品について考えます。

初出:BRUTUS No.927映画監督論。』(2020年111日発売)

illusutration: Masaki Takahashi / text: Naoto Mori

ここ数年で、映画界の新基準を打ち立てたキーパーソンのひとりに挙げられるのがグレタ・ガーウィグ(1983年生まれ)だろう。

個性派の人気俳優として活躍しつつ、長編監督デビュー作『レディ・バード』で参戦した2018年の第90回アカデミー賞では、監督賞にノミネートされた唯一の女性として注目された。監督第2作『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』も絶賛を受け、賞レースを大いに賑わせた。

ハリウッドではトランプ政権への猛反発やハーヴェイ・ワインスタインのセクハラ告発に端を発する#MeToo運動が巻き起こって以降、男性優位社会の抑圧に対する女性のエンパワーメントが過去最高レベルに漲っている。ガーウィグはその勢力を象徴するポジションにいるわけだが、しかし彼女は決して舌鋒鋭く意見を主張するタイプではない。

役者としても不器用なキャラクターを演じることが多いのだが、あくまでも等身大の佇まいで既成の価値観を書き換えていく。作家のロクサーヌ・ゲイが言うところのバッド・フェミニスト(バッドは完璧ではない、の意)にも相当する、ガーウィグのリアルな「普通っぽさ」は、今のフェミニズムの位相を考えるうえでも極めて重要だろう。

等身大という言葉どおり、ガーウィグが映画作りのベースにしているのは主に自分ネタである。自身の故郷サクラメントを舞台に、大学受験を控えた高校生のボンクラな日々を綴る『レディ・バード』然り。脚本と主演を務めた『フランシス・ハ』(監督は私生活のパートナーでもあるノア・バームバック)も彼女の自画像に近く、NYで自己実現にもがく見習いダンサーのモラトリアムな葛藤が主題となる。

『レディ・バード』

地元サクラメントで中二病をこじらせる女子高生レディ・バードをシアーシャ・ローナンが好演。母親との関係を通した葛藤が肝になるが、のちに『ブックスマート卒業前夜のパーティーデビュー』('19)に主演するビーニー・フェルドスタイン扮する親友ジュリーとの掛け合いも最高。'17米。

古典名作小説を現代的にアップデートした『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』では作家になる次女ジョーに自意識の延長を託しながら、4姉妹の姿に女性の多様な生き方を提示して共感の回路を広げた。

ガーウィグの映画は大文字の社会派ではなく、気負いのない「自分サイズ」から世界構造を見つめる。日常の問題は社会の問題であり、生活と政治は密接に連動するという、ニュートラルな認識がクリエイションの根幹となる。

そんなグレタ・ガーウィグと同質の視座を装備する精鋭は世界中に現れている。例えば傑作『はちどり』で長編デビューを果たした韓国の新進監督、キム・ボラ(81年生まれ)。

一見すると『大人は判ってくれない』型のミニマムな思春期の鬱屈を描いた物語と取れる『はちどり』の舞台は94年のソウルだ。急速な経済発展と、国際化による価値体系の変容に揺れる社会の中で、キム・ボラのかつての自画像に準ずる14歳の少女ウニは恋愛や家族などの様々な問題に直面していく。

『はちどり』

脚本執筆に4年かけた設計の精度。14歳のウニは社会の過渡期の象徴でもあり、「新しい韓国」の思春期を描いた映画として読むことも可能だ。ソンス大橋の崩落事故が起こった1994年を舞台に、様々な断絶や亀裂のイメージが随所に差し込まれる。'18韓=米。全国公開中。配給:アニモプロデュース。

それはポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』が描いた格差や分断の様相を、ジェンダーギャップも含めながらもっと細かく分解したものだ。80年代の民主化闘争という政治の季節を生きた先行の386世代(ポン・ジュノはここに属する)との遠近法も組み込みながら、今の韓国が形成されていく時代の根っこが見つめられている。

「自分サイズ」の小さな個人の物語に、現代韓国の歴史や社会背景が連結している点などから、韓国フェミニズム文学のシンボルとなった小説『82年生まれ、キム・ジヨン』(2019年に映画化)との共振も指摘された。

ややデビューの早かったフランスのミア・ハンセン=ラヴ(81年生まれ)がガーウィグやキム・ボラの同世代監督として、挙げられる。彼女は『グッバイ・ファーストラブ』で自身のティーン時代の体験をもとにした初恋模様を綴り、クラブDJだった自分の兄をモデルにした『EDEN』では20年に及ぶ音楽文化・産業の変遷と共に青年の栄枯盛衰を映し出した。

そして『未来よ こんにちは』でイザベル・ユペールが扮した哲学教師のナタリーには、ハンセン=ラヴの母親が投影されている。いずれも自分の周辺から血肉の通ったフィクションを立ち上げ、そこから時代状況の批評にまで射程を延ばし、個人の生き方を模索するものだ。ラヴの作品には、ままならぬ世界でのサヴァイヴという主題が慎ましく貫かれている。

『未来よ こんにちは』

フランス映画界の新星として早くから頭角を現したハンセン=ラヴが、大女優のイザベル・ユペールと組んだ傑作。パリの高校で哲学を教え、主婦業もこなす中年女性の日常的な受難を通しつつ、常に前を向いて歩み続ける彼女の「未来」を肯定する。ベルリン国際映画祭で銀熊賞(監督賞)を獲得。'16仏=独。

他にもイタリアのアリーチェ・ロルヴァケル(81年生まれ)もこの世代の重要監督だ。彼女自身の故郷であるトスカーナを舞台に養蜂業を営む一家を描いた『夏をゆく人々』(14年カンヌ国際映画祭グランプリ受賞)。寓話的な『幸福なラザロ』も含め、伝統的な土着の共同体で生じる閉塞と、システマティックな現代社会で起きる軋轢の両方を風刺的に検証するのがロルヴァケルの卓越した点だ。

また『フェアウェル』で脚光を浴びた中国系アメリカ人のルル・ワン(83年生まれ)も凄い。やはり自分の出自と体験を土台に敷きながら、軽やかなコメディタッチで、異文化のカルチャーギャップをもとに、米国と中国のパラダイムをめぐる衝突と融和という巨大なテーマにまでタッチしてみせた。

ここに挙げた監督たちは、奇しくもみんな女性。彼女たちは小さな日常を描きながら、大きな世界を捉えることができる。確かな実感を持つ「自分サイズ」の物語に足場を置いて、そこから認識の飛距離をぐんと延ばし、ポレミックに浮上してくる世界構造を撃つ。

こういった特徴を備える「82年(前後)世代」の映画作家たちの同時多発こそが、おそらく今、最も刺激的な映画表現の動き ー 現代のヌーベルバーグ(新しい波)であろう。