文・松永良平
エキゾの誕生
エキゾを聴く人、もしかして増えた?暑すぎるこの夏、実際に出かけずとも異世界に逃避できる脳内リゾート・ミュージックとして?
細野晴臣さんの“トロピカル三部作”やYMOの名作、あるいはクルアンビンやジョン・キャロル・カービー、パール&ジ・オイスターズあたりの現在の海外アーティストが奏でる楽園的なサウンドを入口に、エキゾという感覚を新しいものとして意識し始める人も少なくないのかも。
そもそも、この「エキゾ」というワード、なんとなく使っているけど語源や音楽的な歴史を知らないまま、というリスナーもいるだろう。
エキゾの語源は、英語の“exotic”。言葉自体の意味は「見知らぬ」「珍しい」くらいで、南国や楽園という意味はない。本来なかったその意味と結びついたのは、1957年にアメリカのピアニスト/作曲家のマーティン・デニーがリリースしたアルバム『Exotica』と、その1曲目に収録されていた「Quiet Village」のせいだ。この曲は、エキゾの第一人者のひとり、レス・バクスターが1951年に発表した曲がオリジナル。デニーはハワイのホテルでの演奏で「Quiet Village」を好んでカヴァーしていたのだった。
ミステリアスなピアノのヴィブラフォンが奏でるリズムと、鳥の鳴き真似(怪鳥音)が印象的な「Quiet Village」は、発売から2年後、アラスカとハワイがアメリカの新しい州として併合された1959年に全米チャートで大ヒットし、それがきっかけで“exotica”は、のちに日本で「エキゾ」と略して呼ばれる音楽の世界の新しい用語として定着した。
“exotic”は“exotica”になり、脳内の楽園ミュージックを指す音楽ジャンルとして全米で流行した。この時期、マーティン・デニーやレス・バクスターを筆頭に、メキシコ人作曲家エスキヴェル、デニーのグループから独立したアーサー・ライマンらがエキゾの名作を次々に送り出した。
西洋的ではないメロディやリズムで作り出される異世界のムード。そこにはもともと「ここから逃げ出す」という要素が備わっていた。1950年代、世界は第二次世界大戦後の復興景気でにぎわいつつも、東西冷戦や核戦争への恐怖に怯えていた。その一方で、宇宙ロケットの開発や、ジェット機の発達による世界観光への関心も高まっていた。
そんな恐怖と快楽が混ざり合った時代の状況が、エキゾの成り立ちの背景にあったことは覚えておいてもいいかもしれない。結構おどろおどろしいサウンドなのにジャケットはブロンドの美女、とかね。
エキゾの再発見
60年代前半でいったん終わったブームが、70年代の日本で思いがけず注目された。その中心にいたのは細野晴臣さん。「トロピカル三部作」と呼ばれるソロ・アルバム『TROPICAL DANDY』(1975)、『泰安洋行』(1976)、『はらいそ』(1978)、そして初期のイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)にも貫かれたのは、エキゾを自分のものとして捕まえる精神だった。なにしろYMO結成にあたって細野さんは「マーティン・デニーをディスコにして世界で大ヒットさせる」と宣言していたくらいなんだから。
しかし、マーティン・デニーやエスキヴェルなどのエキゾの名作が中古レコード店の壁を人気盤として飾るようになっていくのはもう少し後の、1980年代後半になってからのこと。その注目に大きな役割を果たしたのが、日本独自編集でリリースされたデニーのベスト盤CD『ベリー・ベスト・オブ・マーティン・デニー エキゾティック・サウンズ』(1988)で、その選曲と監修を担当したのが、70年代からデニーのレコードを収集してきたヤン富田さんだった。
90年代には“ラウンジ/カクテル/モンド/ストレンジ”といった文脈で世界中にエキゾ・サウンドは愛されたし、日本では「中古レコードを買うことはかっこいい」という渋谷系時代の後押しも受けた。マジであの頃は「一家に一枚エキゾチカ」な時代だった。
21世紀エキゾ
2000年頃に東京で結成されたバンド、SAKEROCKは、細野晴臣のトロピカル三部作などに影響を受けた若い世代のミュージシャンによるインストバンドだった。バンド名はマーティン・デニーの楽曲「Sake Rock」。実はそれはYMOが同じくカヴァーしたデニーの「Firecracker」のテンポを落としてゆるく演奏した別ヴァージョンなのだった。
SAKEROCKは、自分たちの生活のなかにある懐かしい情緒や思いがけない行動を、現代的なエキゾ感として音楽に置き換えていった。それぞれアプローチは違うが、やがて同じカクバリズムに所属することになるceroはバンド名に“exotica”を織り込んでいたし(contemporary exotica rock orchestra)、VIDEOTAPEMUSICもビデオテープに記録された他人の映像と自分の感覚を混ぜ合わせた独自のエキゾ感覚を作り出している。
海外では、2000年代に入り、アフリカのファンクやタイのビート・ミュージックへの関心が高まった。ヴェイパーウェイヴやアンビエントにもエキゾ感覚の片鱗を見つけることはできる。YouTubeやサブスクリプション・サービス、SNSでの情報共有を通じての深掘りのスピードも飛躍的に高まっている。そういう意味では、エキゾ音楽の気持ちよさを発見し、過去の音源に触れることは昔よりずっと簡単になっている。日本のシティ・ポップだって、海外の感覚から見れば最初はエキゾ的な存在として見つかったという解釈も成り立つだろう。
歴史や文化への理解の解像度が上がった分だけ、もともと妄想や勘違いをはらんでいたエキゾな感覚を、無邪気に面白いと言いにくい。今はそういう時代でもあるかもしれない。だが、エキゾの定義はずっと曖昧なままでもいいと思う。ただし、単に心地よい避暑音楽なだけじゃないし、異文化をせせら笑うための音楽でもない、という意識は持っておきたい。
大事なのは、知らずに見つけた自分の感覚とは違う何かを「知らない」と排除するのではなく、「知らないから面白い」と認め、手を握り、飛び込める気持ち。冷房の効いた部屋で椅子に座って楽しむ異世界の音楽は、逃避行ではなく、実は次なる音楽の冒険への誘いだったりするから。