Read

Read

読む

笑いにすべてを捧げた“鬼才”、岩崎う大の自伝的エッセイが刊行。これまでの歩みを振り返る

“鬼才”と呼ばれる唯一の存在に辿り着いた芸人・岩崎う大。雑誌『週刊SPA!』での連載が書籍化を果たした今、改めてその道のりを振り返る。

photo: Mikako Kozai / text: Fukusuke Fukuda

人生の伏線回収に、神様の采配を感じずにいられない

芸人・岩崎う大の半生は紆余曲折だ。お笑い自意識をこじらせた幼少期。大学在学中のグループデビューと苦い挫折。〈かもめんたる〉の結成と、悲願の『キングオブコント2013』優勝。そこからのどん底を経て、“鬼才”と呼ばれる唯一の存在に辿り着く。その歩みを綴った雑誌『週刊SPA!』の連載が、このたび書籍化を果たした。

「2年近い連載を通して思ったのは、バラバラにやってきたはずのいろいろな活動が、結局は全部つながっていて伏線回収されていたんだなということ。運命的な巡り合わせを感じずにはいられないというか、“神様ってすごい作家だな”と思いましたね」

彼がお笑い人生で経験し感じたことを、時系列に沿って振り返った本書だが、連載中にも大きな心境の変化があった。

「苦手意識があったバラエティ番組への出演を楽しめるようになったのもその一つ。昔は考えすぎてしまって何の結果も出せず、テレビは一度挫折したんですけど。最近は脚本家をやったり審査員をしたりと手を広げたことで“鬼才”という印象がつき、見た目にも重鎮感が生まれたのか、キャラクターをいじってもらえるようになった。以前からは想像もつかないことでした」

歳月を経たからこそ辿り着いた変化は、結成18年のコンビ〈かもめんたる〉にも感じるところだという。

「相方の槙尾ユウスケとコンビを組んで、もうすぐ20年。その積み重ねがあるから、変なコントをやっても楽しみ方をわかってもらえる、いいポジションにいるなと思います。同じことをデビュー半年の人たちがやっていたら、果たして評価してもらえたかどうか。漫才師は“ニン”(芸人が持つ個性やキャラクターのこと)を大事にしている印象がありますが、実はコントも“誰がやってるか”が大事だと思うんですよ」

一方で、笑いに対する変わらない思いもある。理不尽なことやグロテスクなものといった、影のある暗い笑いを好む感性だ。

「コンプラなどの時代の流れもあって、前ほどブラックな笑いがやりたいとは思わなくなりましたけど。それでも、子供の頃から友達が悲劇に見舞われていると、かわいそうだと思いつつ、どうしてこんな試練が彼のために用意されているんだろう、なぜこんな嫌なことが世界に存在するんだろうと考えて、面白いと感じてしまう。“その方がウケるから”という打算的な考えではなく、“自分が面白いと思っちゃったから”やるという姿勢はずっと変わらないです」

noteでの賞レースの寸評が話題となり、現在ではお笑いの大会の審査員も務めるう大だが、やはり自分を育ててくれたコントに対しては並々ならぬ思い入れがある。

「ここ数年、コントは人間を描く演劇っぽいものになってきていて、それは自分が好きな方向性に近いので、僕にとっては嬉しいこと。でも、それはたまたま時代の流れがそうなだけで、コントって本来はもっと大雑把なジャンルでいい。“そんなの演劇じゃねえか”と言うコント師がいていいと思うし、その人たちが今のコントシーンをまた変えてくれることに期待したいですね」

コント、漫才、演劇、漫画、あらゆるジャンルを飛び越えて自分だけの“面白い”を追求する鬼才に、笑いの神がこれからどんな運命を与えるのか楽しみだ。

岩崎う大の芸人人生において転機となった5つの出来事

2001 コントグループ〈WAGE〉としてデビュー

早稲田大学の同名サークルのメンバーとともに5人でプロデビュー。「芸能界の苦さや厳しさを味わうことすらできず、ただ大波に呑まれていたという感じでした」(岩崎う大、以下同)

2007 〈劇団イワサキマキオ〉結成

WAGEのメンバーだった現・相方の槙尾ユウスケと演劇ユニットを結成。「今振り返ると現在につながる大きな出来事でしたが、当時は葉っぱ一枚で作った小舟のような気分での船出でした」

2013 『キングオブコント』優勝

『言葉売り』と『白い靴下』の2本で第6回王者に。「メジャーではなかった僕らの表現にライセンスをもらえた感覚。これを機にテレビでの挫折を味わうことにもなるんですけど……」

2015 〈劇団かもめんたる〉立ち上げ

劇団に書き下ろした戯曲が、2020年から2年連続で岸田國士戯曲賞の最終候補にノミネートされる快挙も。「今いちばん自分が面白いと感じる、打算的でない表現が試せる修業の場です」

2022 『M-1グランプリ』ラストイヤーの挑戦

2021年は準々決勝で敗退するも、22年は敗者復活戦で爪痕を残した。「苦手意識があった漫才ができることがわかって視野が広がった。お笑い芸人の顔ができるようになりました(笑)」