犬、まかふしぎな生き物
人間にとって犬は、最も古くからの伴侶であり、かたい絆で結ばれた存在だった。
犬はときに種を超えて、人間に無償の情愛を差し出してくれる。ホメロスの古代叙事詩『オデュッセイア』の時代にはすでに、ぼろぼろの身なりで帰還した男こそ、長年待ち続けた主人だとすぐに見抜く老犬アルゴスが描かれる。この揺るぎなき忠誠心に魅せられ、ひとは犬にまつわるあまたのテキストを書いてきた。
犬と人間では、かなしいかな、言語を介した意思疎通は叶わないが、小説は無理を可能に変える魔法だ。オースターは『ティンブクトゥ』(1)を、飼い犬ミスター・ボーンズの視点から、死にゆく老詩人ウィリーとの日々を回想する物語に仕立てた。「来世」でウィリーと再会するために、ボーンズの夢や想念は高く飛翔する。愛する主人は一人だけ。死を描きながら、結末は、なぜかロマンティックな多幸感に満ちている。
『犬身』(4)では、人間の頭と心のまま、自ら望んで姿を犬に変えたフサが、飼い主の梓を窮地から救い出すべく、奮闘する。犬-ヒト間の豊かな愛情表現が「ドッグセクシュアル」という新鮮な概念とともに描かれる一方、人間同士は性的虐待や経済的支配など、いびつで醜い情に絡めとられている。フサの犬としての純粋な「献身」ぶりが見ものだ。
言葉はなくとも理解しあえると、強くメッセージを発するエッセイが『雨はコーラがのめない』(2)だ。粉雪の降った日、カーリー・サイモンの曲を一緒に聴く、アメリカン・コッカー・スパニエルの「雨」と私。視力を失っても新しい生活を構築する雨を慈しみ、私は思う。「共通の記憶を持てるのは素敵なことだ」
『犬(きみ)がいるから』(3)でも、互いの存在が確かな生の実感と結びついている。「ハリーと一緒に外に出る。しばらく歩けば、心のもやもやなどどこかに消えてなくなっている」
湧き続ける犬の親愛の情に、人間は応えられているだろうか。この永遠の問いの答えを求め、私たちは必死に犬を読み解こうとするのだろう。
悲しみをのりこえる愛
犬が人間を必要とするのではなく、人間が犬を必要とする。主従は曖昧になる。
『友だち』(5)で、長年、友人以上恋人未満だった「あなた」が自死したと知って初老の作家である「わたし」は途方に暮れる。さらなる問題は、「あなた」の3番目の妻から、巨体の老犬を引き取ってと打診されたこと。
アポロという名のグレート・デーンのハシバミ色の目は、「あなたの一部がここにいるような気」にさせるが、ペット飼育不可のアパートからは退去勧告が。だがアポロの「あなた」への不滅の愛に心打たれたことで、引き取る方策を探り出す。
彼女は作家ゆえ、文学からは多くの気づきをもらう。リルケによれば、愛の定義とは「守りあい、境界を接し、挨拶を交わしあうふたつの孤独」。アポロとはたしかに、愛する人の喪失という体験を共有した孤独な者同士だ。庇護したのは犬ではなく、その魂であり、アポロからも同じように庇護されたとの感覚が、「わたし」をしずかに癒やしていく。
『光の犬』(7)で、北の地の開拓者である添島家3世代も、北海道犬の一族に生かし生かされてきた。猟犬には失格のイヨ、エゾシカ猟の名手にもらわれたエス。人物のみならず犬たちの内面にも入り込む語りは、それぞれの生の哀歓を描出する。
相互庇護のテーマは、エッセイの『犬心』(6)にも見いだせる。ジャーマン・シェパードのタケは14歳。人間では103歳に相当し、おもらし、耳だれ、歩行困難と、ケアすべき事柄は多い。著者にとってその姿は、しばらく前に89歳で亡くなった父親の最期を彷彿させる。一方で長女に子供が生まれもする。弱きものを世話することが、著者に生きる実感と活力を与えてくれるのだ。
犬と人間の関係は、ときに単なる伴侶を超えて、魂を震わせあう。
極限状態を生きる
野犬を見ない。徘徊し、敵愾心(てきがいしん)を剝きだしにし、野生の本性がぎらつく犬はどこ?
1903年に書かれた「野生の呼び声」(『犬物語』(8)に所収)は、まだ世界に野蛮さが残っていた時代の物語だ。誇り高き大型犬のバックは、人には決して飼い馴らされはしない。不意打ちで拉致され、棍棒で痛めつけられたのち、極寒の地で犬ぞりを曳くという苦役が与えられても彼は王なのだ。犬同士の過酷な生存競争にも耐え、彼の中の獣性は日々強くなる。「殺すか殺されるか、喰うか喰われるか、それが掟だった」
そのなかでソーントンにだけは忠誠心を見せる。川の激流で舟が転覆した際も、身を投じて彼を救う。深まる信頼関係。彼に尽くし、インディアンの奇襲にも勇敢に戦ったバックは、しかし最後に人間との共生や文明の側を選ばず、ある「呼び声」に従う。狼の群れに加わるのだ。
犬にはどんな太古の血が流れているのか。従順さの奥底にある恐ろしいほどの野性を、著者ロンドンはソリッドな文章で表現してみせた。
『ジャングルの極限レースを走った犬 アーサー』(9)は、エクアドルでの過酷なアドベンチャーレース中、姿を現した野犬にスウェーデンチームのミカエルがミートボールをやったことから生まれた絆を描く。レースのサバイブのあと、満身創痍の犬を治療し、家族にするための奮闘も。涙なしに読めない愛の軌跡だ。
『年月日』(10)では、日照りと飢饉で住人が出ていった人けのない集落で、雨ごいの儀式により盲目となった犬と老人がとうもろこし苗を守ろうとする。月日の経過も曖昧な終末的世界。「おまえの来世がもし人間なら、わしの子どもに生まれ変わるんだ」。気骨と尊厳。犬と共鳴しあっている時がいちばん、人間は善良な存在でいられるのかもしれない。