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犬好き必読!書評家が選ぶ「犬と人間を結ぶ、見えない糸を手繰り寄せる10冊」

犬と人間の関わりを描く物語は、出会いや別れ、発見や衝突とお互いに影響し合う姿が笑いや涙を誘う。犬という不思議な生き物にまつわる本を、書評家・江南亜美子さんに選書してもらった。

初出:BRUTUS No.913「犬がいてよかった。」(2020年4月1日発売)

photo: Kengo Shimizu / text: Amiko Enami / edit: Akane Watanuki

犬と人間を結ぶ、見えない糸を手繰り寄せる10冊

犬、まかふしぎな生き物

『ティンブクトゥ』ポール・オースター/著、『雨はコーラがのめない』江國香織/著、『犬がいるから』村井理子/著、『犬身』(上)松浦理英子/著
(1)『ティンブクトゥ』ポール・オースター/著 柴田元幸/訳

半分世捨て人のような老詩人のウィリーを主人に、犬のボーンズは最後の地ティンブクトゥを目指す。犬視点で人との関係を描く、オースターらしいユーモラスな長編。新潮社/品切れ。

(2)『雨はコーラがのめない』江國香織/著
オスのアメリカン・コッカー・スパニエルの「雨」と一緒に耳を傾ける、80年代の音楽のあれこれ。やんちゃな面もある飼い犬と心を通わせる秘訣とは?日常をポエジーある筆致で描くエッセイ。新潮文庫/539円。

(3)『犬(きみ)がいるから』村井理子/著
琵琶湖西岸の自然豊かな土地で、双子の男児をふくむ家族と黒ラブラドール・レトリーバーのハリーとで営む暮らしは、温かさに満ちている。平凡な日常性の幸福を感じさせるエッセイ集。亜紀書房/1,650円。

(4)『犬身』(上)松浦理英子/著
長年「犬化願望」を抱いてきた編集者の房恵は、犬へと変身し、陶芸家・梓の飼い犬となった。言語も制度も、生物の種すらも超えた、この愛の関係の行く末は。いっぷう変わった変身譚。朝日文庫/792円。

人間にとって犬は、最も古くからの伴侶であり、かたい絆で結ばれた存在だった。

犬はときに種を超えて、人間に無償の情愛を差し出してくれる。ホメロスの古代叙事詩『オデュッセイア』の時代にはすでに、ぼろぼろの身なりで帰還した男こそ、長年待ち続けた主人だとすぐに見抜く老犬アルゴスが描かれる。この揺るぎなき忠誠心に魅せられ、ひとは犬にまつわるあまたのテキストを書いてきた。

犬と人間では、かなしいかな、言語を介した意思疎通は叶わないが、小説は無理を可能に変える魔法だ。オースターは『ティンブクトゥ』(1)を、飼い犬ミスター・ボーンズの視点から、死にゆく老詩人ウィリーとの日々を回想する物語に仕立てた。「来世」でウィリーと再会するために、ボーンズの夢や想念は高く飛翔する。愛する主人は一人だけ。死を描きながら、結末は、なぜかロマンティックな多幸感に満ちている。

『犬身』(4)では、人間の頭と心のまま、自ら望んで姿を犬に変えたフサが、飼い主の梓を窮地から救い出すべく、奮闘する。犬-ヒト間の豊かな愛情表現が「ドッグセクシュアル」という新鮮な概念とともに描かれる一方、人間同士は性的虐待や経済的支配など、いびつで醜い情に絡めとられている。フサの犬としての純粋な「献身」ぶりが見ものだ。

言葉はなくとも理解しあえると、強くメッセージを発するエッセイが『雨はコーラがのめない』(2)だ。粉雪の降った日、カーリー・サイモンの曲を一緒に聴く、アメリカン・コッカー・スパニエルの「雨」と私。視力を失っても新しい生活を構築する雨を慈しみ、私は思う。「共通の記憶を持てるのは素敵なことだ」

『犬(きみ)がいるから』(3)でも、互いの存在が確かな生の実感と結びついている。「ハリーと一緒に外に出る。しばらく歩けば、心のもやもやなどどこかに消えてなくなっている」

湧き続ける犬の親愛の情に、人間は応えられているだろうか。この永遠の問いの答えを求め、私たちは必死に犬を読み解こうとするのだろう。

悲しみをのりこえる愛

『友だち』シーグリッド・ヌーネス/著、『犬心』伊藤比呂美/著、『光の犬』松家仁之/著
(5)『友だち』シーグリッド・ヌーネス/著 村松潔/訳
「あなた」が遺した犬との暮らしは、驚きの連続。体温、鼻息、まなざし……。初老の女性作家の感慨と、ささやかな仕返しを、古今東西の文学作品も引用しつつ描く。新潮社/2,200円。

(6)『犬心』伊藤比呂美/著
強くて賢くて、まるで人間のようだった、犬の「タケ」。その晩年は、太平洋を挟んで遠距離介護をした老父の衰えた姿に重なっていく。詩人でもある著者が、生と死をじっくりと見つめた愛の記録。文春文庫/682円。

(7)『光の犬』松家仁之/著
北海道東部の小さな町に移住し、根を張った一族と、その家族につねに寄り添ってきた犬たちとの、約150年間。ひとが生きて死んでいく当たり前の光景を、読み心地のいい筆致でとらえる長編小説。新潮社/2,200円。

犬が人間を必要とするのではなく、人間が犬を必要とする。主従は曖昧になる。

『友だち』(5)で、長年、友人以上恋人未満だった「あなた」が自死したと知って初老の作家である「わたし」は途方に暮れる。さらなる問題は、「あなた」の3番目の妻から、巨体の老犬を引き取ってと打診されたこと。

アポロという名のグレート・デーンのハシバミ色の目は、「あなたの一部がここにいるような気」にさせるが、ペット飼育不可のアパートからは退去勧告が。だがアポロの「あなた」への不滅の愛に心打たれたことで、引き取る方策を探り出す。

彼女は作家ゆえ、文学からは多くの気づきをもらう。リルケによれば、愛の定義とは「守りあい、境界を接し、挨拶を交わしあうふたつの孤独」。アポロとはたしかに、愛する人の喪失という体験を共有した孤独な者同士だ。庇護したのは犬ではなく、その魂であり、アポロからも同じように庇護されたとの感覚が、「わたし」をしずかに癒やしていく。

『光の犬』(7)で、北の地の開拓者である添島家3世代も、北海道犬の一族に生かし生かされてきた。猟犬には失格のイヨ、エゾシカ猟の名手にもらわれたエス。人物のみならず犬たちの内面にも入り込む語りは、それぞれの生の哀歓を描出する。

相互庇護のテーマは、エッセイの『犬心』(6)にも見いだせる。ジャーマン・シェパードのタケは14歳。人間では103歳に相当し、おもらし、耳だれ、歩行困難と、ケアすべき事柄は多い。著者にとってその姿は、しばらく前に89歳で亡くなった父親の最期を彷彿させる。一方で長女に子供が生まれもする。弱きものを世話することが、著者に生きる実感と活力を与えてくれるのだ。

犬と人間の関係は、ときに単なる伴侶を超えて、魂を震わせあう。

極限状態を生きる

『犬物語』ジャック・ロンドン/著、『ジャングルの極限レースを走った犬 アーサー』ミカエル・リンドノード/著、『年月日』閻連科/著
(8)『犬物語』ジャック・ロンドン/著 柴田元幸/訳
ゴールドラッシュの時代のカナダ・アラスカ国境地帯、開拓者は犬ぞりを通信手段としている。映画化もされた「野生の呼び声」ほか、全5作を収録。スイッチ・パブリッシング/品切れ。

(9)『ジャングルの極限レースを走った犬 アーサー』ミカエル・リンドノード/著 坪野圭介/訳

700kmを8日間かけ踏破するアドベンチャーレースの最中、1頭の犬が現れる。レース完走は?傷は治せるか?驚愕と感動の実話。早川書房/品切れ。

(10)『年月日』閻連科/著 谷川毅/訳

ノーベル文学賞に近い作家の一人、閻連科。中国の現実と歴史をどぎつく盛りこんだ『愉楽』などとは異なり、本作は農民の老人と寄り添う犬を寓話的に描く。白水社/品切れ。

野犬を見ない。徘徊し、敵愾心(てきがいしん)を剝きだしにし、野生の本性がぎらつく犬はどこ?

1903年に書かれた「野生の呼び声」(『犬物語』(8)に所収)は、まだ世界に野蛮さが残っていた時代の物語だ。誇り高き大型犬のバックは、人には決して飼い馴らされはしない。不意打ちで拉致され、棍棒で痛めつけられたのち、極寒の地で犬ぞりを曳くという苦役が与えられても彼は王なのだ。犬同士の過酷な生存競争にも耐え、彼の中の獣性は日々強くなる。「殺すか殺されるか、喰うか喰われるか、それが掟だった」

そのなかでソーントンにだけは忠誠心を見せる。川の激流で舟が転覆した際も、身を投じて彼を救う。深まる信頼関係。彼に尽くし、インディアンの奇襲にも勇敢に戦ったバックは、しかし最後に人間との共生や文明の側を選ばず、ある「呼び声」に従う。狼の群れに加わるのだ。

犬にはどんな太古の血が流れているのか。従順さの奥底にある恐ろしいほどの野性を、著者ロンドンはソリッドな文章で表現してみせた。

『ジャングルの極限レースを走った犬 アーサー』(9)は、エクアドルでの過酷なアドベンチャーレース中、姿を現した野犬にスウェーデンチームのミカエルがミートボールをやったことから生まれた絆を描く。レースのサバイブのあと、満身創痍の犬を治療し、家族にするための奮闘も。涙なしに読めない愛の軌跡だ。

『年月日』(10)では、日照りと飢饉で住人が出ていった人けのない集落で、雨ごいの儀式により盲目となった犬と老人がとうもろこし苗を守ろうとする。月日の経過も曖昧な終末的世界。「おまえの来世がもし人間なら、わしの子どもに生まれ変わるんだ」。気骨と尊厳。犬と共鳴しあっている時がいちばん、人間は善良な存在でいられるのかもしれない。