人々の暮らしを描いた浮世絵師、歌川国貞
浮世絵は、「浮世」を描いた絵、すなわち、江戸時代の「今」を描いた絵だ。だが、なにげない生活の一コマ、特に普段使いの日用品に囲まれた室内の様子は、思ったほど描かれてはいない。浮世絵は庶民にとっての娯楽であるが、娯楽だからこそ、ありふれた日常はそれほど大事なテーマではなかったのだろう。
そんな中、人々の暮らしの一場面を誰よりも好んで描いたのが、歌川国貞(うたがわくにさだ)という浮世絵師である。名前にピンとこない人も多いかもしれない。
実は、江戸時代後期の浮世絵界で一番の人気を誇っていたのが、かの葛飾北斎でも歌川広重でもなく、この国貞なのである。20代で人気を獲得し、それから亡くなるまでの約50年間、浮世絵界のトップを走り続けた。
国貞は、役者絵、美人画、小説の挿絵、春画など、幅広いジャンルを手掛けていたが、四季折々の人々の暮らしもしばしば取り上げている。室内の描写も丁寧なため、江戸時代の日用品を知るには、もってこいの浮世絵師といえよう。
例えば、年末の餅つきの様子を描いた「十二月之内 師走 餅つき」という浮世絵がある。臼に入れた餅を杵(きね)でついたり、つきあがった餅をこねたりする場面で、餅つきに必要な道具だけでなく、普段から人々が使っている、ちょっとした日用品も登場する。
一つは女性が温かいお餅をあおぐのに使っている団扇(うちわ)。亀の絵が描かれているが、この絵は絵師の直筆によるものではなく、版画を団扇に貼りつけて作られたものである。もともと団扇にするために制作された浮世絵版画で、絵の四隅にある白い余白を切り取り、竹の骨に貼りつける。
北斎や広重といった著名な浮世絵師たちも、このような団扇絵を頻繁に制作していたが、彼らの傑作を普段使いの実用品として消費できるとは、なんと贅沢な時代だろう。
また、四角いお盆の上には、おろし金も描かれている。その台形の形は、現代でも見かけるものだ。半分におろされた大根がその上に置かれているのだが、こねたばかりの餅に大根おろしと醤油をかけて、からみ餅として食べるのであろうか。
おろし金の隣にあるのは、染付(そめつけ)の磁器。19世紀前半、磁器は、有田だけではなく瀬戸でも生産され、江戸の町の庶民たちの間でも流通するようになった。洒落たデザインのものが多かったようで、この浮世絵でも、水色の双葉葵文(ふたばあおいもん)に藍色の源氏香(げんじこう)の文様、口縁(こうえん)と高台(こうだい)にはデコボコの文様という手の込んだデザインが、細かく描きとめられている。
もう一点、「江戸八景 吉原夜雨(えどはっけいよしわらやう)」という別の国貞の浮世絵からも、日用品を探してみよう。こちらは吉原遊廓の一室である。蒔絵(まきえ)の煙草盆、唐獅子の顔のついた獅嚙み火鉢(しかみひばち)、蝋燭(ろうそく)を灯すための燭台(しょくだい)など、花魁(おいらん)たちが普段使いする豪華な調度品であふれている。
この絵の中で、2人の遊女が、雨に濡れた男性客の羽織を床に置き、皺を伸ばそうとしている。右側の遊女が取り出したのは、金属製の器だ。火箸でつまんだ炭をその中に入れている。本来であれば衣類の皺を伸ばす時、火熨斗(ひのし)という、平らな底の器に柄がついた、現代でいうアイロンの出番となるのだが、遊女が用いているのは、煙草盆の火入れ。そばには透かし彫りの蓋が置いてある。わざわざ火熨斗を使わず、そばにあった煙草盆の道具で代用しようというのだ。
なにげない描写だが、絵師である国貞はこのような日用品の使い方を通して、花魁の高貴さと、男性客との親密な関係性を想像させようとしているのである。
歌川国貞は、後に改名して歌川豊国(とよくに)とも名乗るが、もし彼の浮世絵に出会うことがあれば、画面の隅々までじっくり見てほしい。江戸っ子たちの日常の片隅で息づいている、素敵な日用品を発見できるかもしれないからだ。