Love

香水のことがもっと好きになる、いくつかの話。調香師、エドモン・ルドニツカの庭園へ

名作と呼ばれる香水を生み出した歴史的な人物を紹介する。ディオールの《ディオリッシモ》《オー ソバージュ》、エルメスの《オー ド エルメス》を残した、20世紀最高の調香師の一人、エドモン・ルドニツカ。その生涯と彼の残した庭園についての物語。

Photo: Manabu Matsunaga / Text: Masae Takanaka

ミニマムな調香から生まれた、
エポックメイキングな香水たち。

ディオールのエポックメイキングな香水である《ディオリッシモ》《オー ソバージュ》、そしてエルメスの最初の香水となる《オー ド エルメス》など、歴史に残る香水を生み出した20世紀最高の調香師の一人、エドモン・ルドニツカ。

1926年にグラースの研究所でエドモンは調香師のキャリアをスタートさせる。その後、パリにあった香料の研究所で13年間働き、1943年にオートクチュールのデザイナーであるマルセル・ロシャスとの運命的な出会いによって最初の代表作となる《ファム》を誕生させる。

南仏の町、グラースは香水の原料となる香料の産地として、また香水商が集まる“香水の町”として知られている。そのグラースと隣接する小さな村カブリに、エドモンは自分のアトリエとパフュームガーデンを構えることにする。元手となったのは《ファム》のロイヤルティ。

この香水は物資不足の第二次世界大戦の最中に生まれ、パリの街をこの香りで満たしたといわれる。エドモンはカブリにまず11ヘクタールの土地を買った。岩肌がむき出しの荒れ地を開拓しながら、香水の原材料となる花やハーブを集めた庭を造り始める。1950年には〈アール&パルファム〉というアトリエを造り、最終的には72ヘクタール、数百種類の植物からなるパフュームガーデンを完成させることとなる。

パフュームガーデンに立つエドモンとテレーズ
パフュームガーデンに立つエドモンとテレーズ。

ディオールから生まれた、
時代を作った2つの香水。

1956年にディオールから発売された《ディオリッシモ》はこの庭で咲いたスズランの香りが大きなインスピレーションを与えたといわれている。

彼を一躍有名にしたこの香水は当時かなりセンセーショナルなものとして受け入れられた。それまで香水は数百種類の香料を調合するのが通常であったが、エドモンは無駄なものを省き、最終的には30〜40種類の香料を使ってミニマルな香水を作り上げた。それはシンプルでありながら、これまでにない濃厚な香りを人々に印象づけた。

1966年にディオールから発売された初の男性向け香水《オー  ソバージュ》は、その爽やかな香りによって、男性だけでなく、多くの女性をも虜にした。60年代後半から70年代にかけて、パリのモード界はイヴ・サンローランのマニッシュなパンツスーツが話題となっていた。

そこに登場した男性向けの香水《オー ソバージュ》はエレガントな強さを持つ女性像と重なり、時代を象徴する香水となった。その後もエルメスやエリザベス・アーデンなどのメゾンから香水を発表したエドモンは、一流の調香師のことを表す“nez(鼻の意)”という称号を手にする。

エドモンが調香した香水で、最後に世に出たのは、妻テレーズに捧げたものだった。60年代に作り上げた香水でまだ製品化されていないものがいくつか残っていた。1999年にフレデリック・マルの会社から香水を出す際に、選ばれたのが妻のテレーズのために調香した香水だった。

テレーズの香りは当時専門家には称賛されたにもかかわらず、世に出ることはなかった幻の香水。2000年に息子である、調香師ミッシェル・ルドニツカの手によって製品化されることになる。テレーズは調香以外のすべての仕事を引き受け、エドモンの右腕となって働いた。彼女なしではビジネス的に成功しなかったともいわれる。彼女はエドモンからの思わぬ最後のプレゼントを手に2年後に他界する。

エドモン・ルドニツカが20世紀最高の調香師と呼ばれる所以は、残した作品そのものよりも、現在の香水の系譜にもつながる調香に対するミニマルな姿勢やその哲学的な考え方にある。歴史に名を残す香水を作り上げたが、エドモン自身は万人受けする素晴らしい匂い(香水)を作ることには興味がなかったそうだ。

調香という仕事にはアーティザナルの技術と共にアーティストとしての感性が求められるが、彼にとって調香という仕事とは、よりアートに近いものだったのではないだろうか。エドモンの残したパフュームガーデンは今も南仏のカブリで季節折々の芳しい花を咲かせている。

エドモン・ルドニツカの
パフュームガーデンへ。

ドモン・ルドニツカのパフュームガーデンを訪ねるため、「香水の町グラース」から6㎞ほど離れた山の上の小さな村、カブリへと向かった。パリから飛行機でニースに入り、そこから車で1時間弱。

カブリは「コートダジュールの展望台」と呼ばれ、昔から作家や画家など芸術家に愛される美しい村として知られている。エドモン・ルドニツカ亡き後は息子のミッシェル・ルドニツカが家を継ぎ、5人の庭師と共に庭の管理にあたっている。今年、77歳になったミッシェルにとっても庭は特別な思い出の場所であるという。

「私にとってこの庭は幼少期から最高の遊び場でした。この家のシンボルツリーともいえる背の高い杉は今も一番のお気に入りの場所です。幼い頃にはよくこの木に登って、向かいにある建物の3階で仕事をする父と母に手を振ったものです。この木の上から、両親を眺めるのがとても好きでした」

父のエドモン・ルドニツカは仕事先であったストラスブールから自転車に乗ってアルプスを越え、グラースを経由し、1944年にこのカブリに辿り着いたという。

「まだ何もなかったこの丘からコートダジュールを眺めた時に、自分がこれからすべきことを理解し、この土地に住むことを決めたと父は語っていました。そして発表する香水のロイヤルティが入るたびに少しずつカブリの土地を買い広げていったそうです。もともとは岩盤であったところを切り崩し、岩を取り除いた場所に土を運び込んで庭にしたと聞いています」

エドモン・ルドニツカのパフュームガーデン

数々の名作香水を生み出した
パフュームガーデン。

エドモン・ルドニツカの庭には今でも香水の原料となる草花やハーブが数多く植えられている。ミッシェルに庭を案内してもらった。広い敷地には中国式、イタリア式、フランス式、そして日本式の庭園まで造られており、中でもミッシェルのお気に入りは日本庭園だそうで、そこには石仏や灯籠のほか、橋の架かったハスの池なども造られている。

道すがらセージに似た小ぶりな葉っぱを渡された。「ちょっと匂いを嗅いでごらん」。これまで嗅いだことのない、とても甘くてフルーティな香りが鼻孔を満たす。「このハーブは、カシスとブラックベリーの匂いがするでしょう? とても面白いですよね。こういう匂いを嗅ぐところから香水のインスピレーションは生まれるんです。

父が《ディオリッシモ》を作った時も、庭のスズランからインスピレーションを得たそうです。そのスズランは今でも当時とまったく同じ場所にあって、毎年、花を咲かせています」

あいにく庭の植物の多くは花の時期を少し前に過ぎており、《ディオリッシモ》を生んだというスズランを嗅ぐことは叶わなかったが、庭にはジャスミンやラベンダー、菩提樹などがまだ花を咲かせていた。ほかにもレモン、オレンジ、マンダリンなどのシトラスも植えてある。

尊敬する調香師であった、
父・エドモンからの教え。

自宅兼オフィス、研究施設、セミナールームの3つの建物のうち、コートダジュールを見渡せるガラス張りの大きな窓のあるオフィスは、かつてエドモン・ルドニツカの仕事場であった。

「ミニマルを好んだ父は静かで無機質な空間で仕事をするのが好きでした。ラボにはたくさんの要素がありすぎると、調香もこの部屋で行っていました。私自身も父のそばで5年ほど調香について学んでいたのですが、父は個性が強く、またとても気難しい人でしたから、途中で一緒に仕事をするのがつらくなり、私はしばらく家を離れたのです」

ミッシェルは10年ほどポリネシアを旅した後に、再びエドモンの元へと戻ることになる。
「長い旅から帰ってきた頃にはお互いに良い距離感で仕事ができるようになっていました。調香師にとっての基本的な香りの知識や調香のテクニックなどは父から教わりましたが、父がよく言っていたのは、香水は人に衝撃を与え、感情を揺さぶるものでなくてはならないということ。

そして調香師にとって最も大切なのはそれぞれの持つセンスであり、それは誰も教えることができないし、学ぶことはできないということです」

エドモンのアーカイブの香水全コレクショ
ラボの入口にあるエドモンのアーカイブの香水全コレクション。限定品の貴重なボトルも保管している。

家の500mほど下には、エルメスの元調香師ジャン=クロード・エレナも住んでいるという。
「彼とは幼馴染みで、子供の頃からよく一緒に遊んだものです。彼は父をとても慕っていて、調香についてもディスカッションをしていました。彼も今はフリーランスになったので、調香をしにここのラボにも訪れていますよ」

現在、ミッシェルは45人ほどのフリーランスの調香師と一緒に仕事をしている。「ロイヤルティの支払いしかないので稼ぎは少なくなっているかもしれませんが、自分が誰とどんな働き方をするかを選べるというのは大きな魅力です」

庭の上の方に行ってみようと言われ、上っていった先には小さなガラス張りの小屋があった。中にはエドモン・ルドニツカの遺骨が収められているという。「もともと、家族の墓はニースにあったのですが、父の希望でこの庭に移すことになりました。母もここに眠っています。まだ場所も残っているので僕もここに入る予定です」

生前のエドモン・ルドニツカは毎日1時間ほど、手入れをしながらの庭の散歩を欠かさなかったとミッシェルは言う。四季折々の草花の匂いをゆっくりと嗅いで回りながら、未知なる香りの創造にでも思いを巡らせていたのだろうか。

調香師 エドモン・ルドニツカ
©Michel Roudnitska