移動ができない閉塞感にどう立ち向かうか
九龍ジョー
今年は、2年に1度開催される『山形国際ドキュメンタリー映画祭』の開催年でした。世界で初めて上映される作品も多く、まさにドキュメンタリー映画の現在進行形であり、未来でもある。
同じ歴史的事件を扱っても、報道と違って、ドキュメンタリーにはそこにいる人たちの息遣いというか、身体や思考をより身近に感じられますよね。『武漢、わたしはここにいる』は、中でも昨今の新型コロナウイルス感染症の最初期の感染状況を描く、現代を象徴する一本でした。
濱治佳
2020年1月のコロナ禍でロックダウン下の武漢を映した作品ですね。クルーは新型コロナウイルス感染症が蔓延する直前にたまたま別の映画撮影のために現地入りしていた人たちなんです。
九龍
後々に世界中が体験することがここに凝縮されていますよね。マスクが足りなかったり、病院に入れなかったり。
濱
クルーは撮影しながらボランティアとしても活動します。単に政府や行政の不手際を告発するのではなく、撮った映像を通して支援を求めることで、実際に物資が集まっていき、その様子も撮っている。そうした映像の力も感じる作品です。

ロックダウン下の武漢を捉えた記録。劇映画の製作のために現地入りしていたクルーが撮影を敢行。政府による公的な支援が行き届きにくい、高齢者世帯や路上生活者などにマスクや食料などを無料配布するボランティアを追った。
九龍
タクシーの運転手が医薬品を運ぶ役を務めたりしていましたね。ひたすら混乱状態にあるわけでなく、一人一人が判断して最善を尽くそうとする姿は印象的だし、報道で見ていた武漢とはイメージが違っていて驚きました。
武漢と同じく、近年世界中が注目している場所に香港がありますよね。『理大囲城』は、2019年の逃亡犯条例改正案に反対する学生のデモ隊の姿を記録しています。
濱
タイトル通り、理工大学キャンパス内に籠城し囲われたデモ隊を撮影したものです。身の安全のために学生の顔にはモザイク処理が施されていますが、それでも滲み出る疲労や恐怖が感じられる。監督は一市民としての彼らの気持ちをカメラに収めたかったのだと思うんです。
九龍
学生が大学を占拠して気勢を上げているのではなく、警察に囲まれて物資を断たれ籠城を強いられているのがすさまじかった。はじめこそ、戦略を練ったりするのだけど、だんだん八方塞がりになっていって。観ていても本当に怖くなる。
濱
身動きが取れないがゆえの苦しさがありますよね。

逃亡犯条例改正案反対運動が激化した2019年11月の香港。11日間にわたり理工大学キャンパスに籠城を余儀なくされた、学生を中心とするデモ隊を映す。撮影には複数名の映画製作者やジャーナリストが参加。今回の映画祭で最高賞にあたる大賞を受賞した。
九龍
似たような辛さが、シリアの難民キャンプに密着した『リトル・パレスティナ』にもありますよね。道路が封鎖されて買い出しにも行けない。でもどこか救われる思いがするのは、子供たちのバイタリティのおかげ。
“爆弾落とすなら一緒に食べ物も落としてくれたらいいのに”というブラックユーモアには力強さを感じました。
濱
随所に入る監督の詩的なナレーションも素敵で。いわゆるジャーナリスティックな映像とは違って、人間を描いている。

舞台は、シリアにあるパレスチナ人難民キャンプ。シリア情勢の悪化、ISの台頭などにより、道路が遮断され、爆撃に晒され、さらに食料不足の日々が続く。アサド政権下で難民キャンプも攻撃されるが、辛くもドイツに逃れた監督が編集し、映画化した。
九龍
一転、『ヌード・アット・ハート』はストリップの踊り子たちの話で。華やかさだけでなく、舞台裏を淡々と見つめることで、技術やお金の話も見えてくる。お仕事映画としても楽しめました。
濱
昔ながらの師弟関係が崩れているという話は、日本社会のほかの業種ともつながりますよね。

日本のストリップ劇場のダンサー「踊り子」に密着した作品。同じ映像素材を使った映画『Odoriko』の国際共同製作版で、編集をフランス人女性が務めた。踊り子たちが舞台の袖で見せる素顔や楽屋での日常など、華やかな表舞台の裏側に迫っている。
未来を想像するために過去に学び、今を知る
九龍
今につながる過去を知れば、今まさに起きていることを理解するヒントにもなる。『発見の年』はまさにそういう映画だと思いました。時に2画面にスプリットする作りは新鮮で見応えがあって。
濱
スペインの軍港カルタヘナはかつて過激な労働運動が展開された土地でもありました。そのさなかにあった1992年当時の映像を振り返りながら、現代の若者が抱える貧困が徐々に一本の線でつながっていく。その過程が見どころですね。
九龍
20分くらい延々と酒場でおじさんが愚痴を言っているシーンが続くのが印象的でした(笑)。
濱
長いですよね(笑)。でもじっくり耳を傾けていると、当時の労働環境に対する怒りがよくわかるようになっています。

スペインのカルタヘナの1992年と現在を映す一本。アーカイブ映像、当時を知る労働者と現代の若者の語りを中心に構成。時に2分割画面で物語が進行する。撮影には92年当時に使われていたHi-8ビデオカメラを使用し、2つの時代がつながるような演出も。
九龍
長さの中でこそ語れることもあるということですね。同じく過去のフッテージを見せる作品に『光の消える前に』がありました。こちらは、1970年代のモロッコの状況がかなり特殊で。
濱
実は当時、この国では自由主義運動が盛り上がってアートの領域でも前衛的な作品が多く生まれました。しかし、政府が弾圧したためにほとんどなきものとなってしまったんです。
九龍
コラージュして独自に再構成しているから、新しい作品として蘇ったようにさえ思える。過去を過去として語るだけでなく、今だからこそできる方法で語り直しているのが面白い。

1974年にモロッコで製作されたフィルム『いくつかの無意味な出来事について』の素材を中心に、当時の写真やポスター、雑誌、音楽をコラージュ。当時の強権的なモロッコ政府によって弾圧され、忘れ去られたアーティストたちへオマージュを捧げている。
濱
政府の弾圧という点で、看過できないのが島民の5人に1人が虐殺されたといわれる、1948年の済州島4・3事件です。『スープとイデオロギー』では、在日コリアンのヤン ヨンヒ監督のお母さんがこの事件の生き残りであることが語られます。
九龍
もともと監督のご両親はともに北朝鮮を支持し、朝鮮総連の活動家でもあった。事件はその背景の一つでもあったと思うんですが、お母様は心に秘めてきた。
濱
ホームムービーのような私的な映画だから、監督とパートナーのお母さんとの関わりも映る。その生活感の中に事件の歴史が通奏低音のように流れています。どんなに悲惨な事件も、遠くのどこかの歴史の一ページではなく、身近な存在なのだと気づかされます。

2006年の映画『ディア・ピョンヤン』で朝鮮総連の幹部の父を撮った監督ヤンヨンヒの最新作。済州島の4・3事件を生き抜き、アルツハイマーを患った一人暮らしの母の元へ通う。監督自身のパートナーとともに3人で食卓を囲み、事件の足跡を辿る。
更新され続ける女性たちの新たな表現
九龍
これまでにないものを観た!と思わされたのが、『ナイト・ショット』でした。性暴力被害に遭ったうえに、司法にも見放された、チリの女性監督の日記映画……なのですが、とにかく見せ方が斬新で。
事件から心身を回復していく過程はもちろん、その間の気持ちのゆらぎが映像化されています。
濱
まるでセカンドレイプのような取り調べを受けたり、友人に被害を打ち明けたり。歌や、生のシンボルとしての出産シーンなど、8年間の映像の積み重ねは旅のようでもあります。被害の告発にとどまらない、全く新しい映画表現が生まれたと思いました。
そのうえ、昨今の#MeToo運動に連動するように声を上げる女性たちを収めたシーンも。現代性も備えた力強い作品です。

性暴力被害に遭ったのちの8年間を撮影したエッセイ的ドキュメンタリー。事件以降、警察の取り調べ、家族や友人との交流、ヒーリングへの参加など、傷を抱えた日々の心情の機微が露光オーバーやナイトモード機能などの白みがかった画などで構成される。
九龍
同じくらいパワフルだったのは『燃え上がる記者たち』に登場するインドの女性記者たち。スマホやYouTubeなどデジタルメディアを駆使して権力者やマフィア相手でもジャーナリスティックに切り込むさまは見応え十分でした。
濱
動画再生数もグングン伸びて、1億回を突破したり。丁寧な取材で、政治や資本の矛盾を炙り出していくさまは痛快です。

インド北部の地方で、カースト制の外に位置する被差別民、ダリトの女性たちがジャーナリストとして働く姿の記録。教育を受ける機会すらなかった彼女たちが立ち上げたウェブメディア「ラファリア」(波、という意味)はスマホを駆使して奮闘する。©Black Ticket Films
九龍
今やSNSをはじめ最新の情報を大量に得られますが、こうして「ヤマガタ」のラインナップを見ると、どれも最新作とはいえテーマや時代も幅広く、どの作品をとっても必ず発見がありました。
濱
現代の真っただ中にいると、かえってこの時代を理解しにくいですよね。私自身、移動ができないがゆえの困難さに改めて気づかされた2年であり、それを対象化してくれるのがドキュメンタリーなのだと思います。