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映画監督・想田和弘が語る、文化人類学としての ドキュメンタリー2本『極北のナヌーク』『リヴァイアサン』

ドキュメンタリー、いや映画の歴史そのものが、文化人類学的な欲望から始まった⁉想田和弘監督が語るドキュメンタリー論。

Text: Izumi Karashima

「見たことのないものを見たい」
という欲望が映画を発展させた

長編ドキュメンタリー映画の歴史は、ロバート・フラハティ監督の『極北のナヌーク』から始まりました。彼の2作目の『モアナ』を、批評家が「この作品にはドキュメンタリーバリュー(記録的な価値)がある」と評したことがきっかけで、ドキュメンタリーというジャンルができた。

当時は映画といえば役者が物語を演じるものだった。そこへ突然、当時の欧米人が見たことのないイヌイットの生活を記録した映画が公開されたものだから、世界は驚愕したわけです。彼は探検家で、「イヌイットの生活を映画にしたら面白い」と思いつき、機材を現地に持っていって撮影した。これは当時としては非常に画期的だったんです。

ドキュメンタリー『極北のナヌーク』
銛を構えるイヌイットのナヌーク。

面白いのは、あちこちに演出が入っていること。主人公の本名は実はナヌークという名前ではないし、ナヌークの妻として登場する女性は監督の現地妻だった。イグルー(雪のブロックで造るドーム形住居)の中の生活も映していますが、普通に撮影したら光量が足りない。そこで壁が半分だけのイグルーを造って撮ったらしい。

ドキュメンタリーの誕生には、それほど虚構の要素が入り込んでいる。でもそれがドキュメンタリーの起源であるという、このねじれが面白い。しかしいくら虚構の要素が強いとはいえ、この映画には当時のイヌイットの顔や生活が確かに映っている。ドキュメンタリーバリューがあるんです。

実は1895年に映画を発明したリュミエール兄弟が作った数多くの短編映画も、今から見ればドキュメンタリーです。彼らは日本やヴェネチア、エジプトなど世界各地で風景を映し、1000本以上の短編を作った。

映画はその始まりから、「見たことのないものを見たい」という文化人類学的な欲望によって駆動されたのです。それがのちに『極北のナヌーク』として花開き、そしてそのDNAを受け継ぎつつ、一気に飛び越えたのが『リヴァイアサン』です。

GoProを使うことで
人間の視点を排除する

ハーヴァード大学の文化人類学者であるルーシャン・キャステーヌ=テイラーとヴェレナ・パラヴェルが、遠洋漁業のドキュメンタリーを撮るために船に乗り込みます。でも途中でカメラを2台、海に落としてしまった。出港したら戻れないので、持っていた11台のGoPro(超小型の防水カメラ)を使うしかないということになった。

そこで彼らは、魚の死骸とか、ロープとか、いろんなところにカメラを付ける。そしたら想像を超えた映像が撮れてしまった。普通のカメラは人間の視野を再現できるように作られているから、撮れるのは人間の視点の映像になる。でも『リヴァイアサン』は人間以外の視点で撮られたため、人間さえ人間っぽく映っていない革命的な映像になった。

ドキュメンタリー『リヴァイアサン』2
人ならざる者の視点をカメラは映し出す。

言ってみればアクシデントなんです。結局、ドキュメンタリーで一番面白いのって「撮れちゃった」映像だと思うんです。

彼らはその「撮れちゃった」映像の面白さに途中で気づき、その時点からは確信犯的に、人間ではない視点で「見たことのない世界」を作り上げた。衝撃を受けたし、悔しさも覚えましたけどね。「なんで学者が、これをやれるんだ⁉」って(笑)。

©Arrete Ton Cinema 2012