もともと『DENKI GROOVE THE MOVIE?』を2015年に作ったところから始まっていて。「電気グルーヴの結成25周年記念でドキュメンタリー映画を作ってほしい」と、当時の電気のマネージャーから連絡があったのが最初です。
卓球さんが家で古い段ボールを整理してたらデビュー当時のライブ映像がたくさん出てきて、これをまとめて映画化したら面白いんじゃないか、「だったら監督は大根さんで」と2人が言ったと。それは光栄だと思いつつ、「ああ、気が重いなあ」って(笑)。
電気グルーヴは大好きなんです。でも、石野卓球とピエール瀧という2人は、僕にとって、いちばん面白くて、いちばんカッコよくて、いちばん怖い先輩。生半可な気持ちでは関われない。200%で返さないと対峙できないんですよ。だから、2人に指名されたときは「恐怖新聞」が届いたような感じで、絶対死ぬなって(笑)。
さてどうしたものかと。バンドのドキュメンタリーって、過去にピークがあるとわかりやすいんです。いざこざがあって再結成とか、メンバーが脱退したけど復活とか、アップダウンや紆余曲折の物語があると作りやすい。
でも、あの人たちは、高いレベルを維持しながら進化し続けている稀有な存在で、わかりやすいピークがないんです。ヒストリーを追いつつ、現状も伝えるけれど、ヤマ場をどこに持ってくるのか、その構成が難しい。
なので、関係者にインタビューしつつ、電気のツアーに張り付き、バックステージも含めいろいろ撮って。結局、出来上がるまで1年、いや、1年半かかったかな。基本的に本人たちは何も言わないんです。「全部任せたから」と。
そう言われるとハードルがさらに上がるんだけど、卓球さんに出来上がりを観せると、「面白い!最高!」って連絡があって。やった、と。
電気を知る人にも知らない人にも、全方位に向けたドキュメンタリーに仕上がったし、映画における興収という使命も黒字にすることができた。僕も満足したんです。もう二度と彼らの映画を作ることもないだろうと。肩の荷を下ろし、一ファンに戻ったんです。
ゴールはどこにあるのか?
どっちかが死ぬときなのか?
2019年。僕はNHK大河ドラマ『いだてん』の撮影に参加していました。ご存じのように、瀧さんはそこで重要な役を演じていて。意外にも、瀧さんと仕事をするのはそれが初めて。俳優と演出家の関係はそれまでなかったんです。で、あの事件が起こった。
プロデューサーと演出チームが集まって重苦しい会議が続いていたとき、僕だけ別のことを考えていたんです。「映画のパート2をやんなきゃ」って。今回は前回と違って明確な物語を紡ぐことができる。これはもう、絶対に撮らなくちゃいけない。絶対に面白い。別の血が騒ぐっていうかね(笑)。
大騒動から1ヵ月ぐらい経った頃、卓球さんに連絡したんです。「ちょっと話をしたいんですけど」
「いいよいいよ、会おう」。で、中目黒の個室のある居酒屋に行って。卓球さん、部屋に入ってくるなり「映画でしょ?やろうよパート2。絶対盛り上がる」(笑)。そこから2〜3週間後、卓球さんから電話がかかってきて。「明日空いてる?」「夕方に仕事終わります」
「じゃあうち来てよ」。それで撮ったのがYouTubeで公開している予告編。獣神ライガーのマスクを被ってるコレです。「今日さ、これ買ったんだよ」ってライガーのマスクを見せられて。「え、被るんですか?」「マスコミのヤツらがすげえ来てるから遊んでやろうと思ってさ」って(笑)。

あの日撮っただけでもめちゃめちゃ面白くて。なんといっても、詰めかけた報道陣の滑稽ぶり。撮りながらふっと頭をよぎったのが森達也さんのドキュメンタリー『A』。ああ、森さんが見ていたのはこの光景だったんだなって。
逮捕、SNSのバッシング、音楽の配信停止、マスコミのバカ騒ぎ、2人の友情、そして来る2020年フジロックのヘッドライナーで復活。そういう物語が美しいと思っていたし構成もできていた。でも世界はコロナで一変。物語もいったん途切れてしまったんです。
2021年のフジロックで電気は完全に復活しました。めちゃくちゃいいライブで盛り上がって。でも、撮りながら、これはこの映画の出口ではないなと。感覚として、今年のフジロックは映画前半のピークだろうなって。
いや、前半にも到達してないかもしれない。いつ終わるのかがわからなくなった、というのが正直なところ。2人の還暦がゴールなのか、それともどっちかが死ぬときか。僕が先に死ぬかもしれないですけど。