『かなしきデブ猫ちゃん』をご存じか。ハチワレのオス猫・マルを主人公にした絵本で、作者は『イノセント・デイズ』や『店長がバカすぎて』などで知られる松山市在住の小説家・早見和真さん、絵は今治市出身で動物や自然などをテーマに描く絵本作家のかのうかりんさんが担当している。
デブ猫ちゃんは、愛媛県民なら誰もが知る物語として浸透しているのだ。
愛媛県松山市の保護猫カフェで育ち、引き取られたアンナ一家の快適すぎる住環境(とくに魚の切り身入りのおいしいごはん)のおかげで超肥大化したマル。人にこびがちな猫っぽい態度を否定し、クールに振る舞うことをよしとする2歳のオスが、ひょんなことからアンナの家を飛び出す。猫カフェとアンナの家しか知らなかったマルが、愛媛県内せましと大冒険の旅をする物語がはじまる。
松山、四国中央市、西条、今治、伊方、宇和島、愛南などなど、愛媛県内のさまざまな土地での冒険が描かれる。旅をするのは2歳の家猫なので、土地について何も知らない。そのわからない度合いがもどかしくも新鮮なのだ。
だが、作者の早見和真さんは『かなしきデブ猫ちゃん』を「大人が読んでも楽しい絵本」として書いたわけではなかった。
「自分の手で20年後の読者を生み出すことができないかっていうのがおおもとのスタートでした。2016年に伊豆から愛媛に引っ越して、何をやるかはかりかねているなかで、やはり自分は土地に物語を置いていくことしかできないなと実感して。でも、今さら大人に小説の面白さを伝えて物語漬けにする困難さもわかっていたので、無垢な子どもたち相手に戦いたいと思ったんですね。君たちが生まれ育った街を舞台にした物語だよって。それならきっと伝わるという感覚があったんです」
そうして、2018年4月から愛媛新聞で41回にわたって連載。
果たしてデブ猫ちゃん、じわじわとブレイク。絵本になり、県内各地で読み聞かせ会が開かれ、着ぐるみがイベントに登場し、デブ猫ちゃんグッズも展開。2021年には集英社文庫で出版、に加えNHKでアニメ化も。早見さん自身、中心となってこのプロジェクトを進めてきた。
「20年後の愛媛県民全員が知っている物語を作る。それがひとつと、20年後にデブ猫ちゃんの本を手にした外国人が愛媛を旅してる。そんなふたつの未来像を共有してくれってことだけを伝えてきました。『県全体で一つの物語を生み出して育てていくっていうことって、本当に誰ひとり損しなくないですか』って」
デブ猫ちゃんの連載は第2シリーズまで完了し、書籍化。現在、第3シリーズが連載中だ。
そうそう、そもそもなぜデブ猫ちゃんの物語になったのかというと、早見家にはハチワレのデブ猫・ちゃちゃ丸くんがいるから。
「伊豆に住んでいた8年前にうちにきて、その頃は小さくてかわいかったのが、松山に越してから一気に太ったんですよ。そのことを編集者と、愛媛の友だちの女の子に話すうちに『かなしきデブ猫ちゃん』ってタイトルがポンと浮かんできて。当時、小学2年生だった娘になんか書きたいっていう気持ちがずっとあって、あーこのタイトルいいかもなあって」
そして早見さんはかのうかりんさんと出会い、マルというキャラクターが生まれるのだが、かのうさんがちゃちゃ丸をもとに描いたラフには、妙なふてぶてしさと世に対して斜に構えた雰囲気がにじみ出ていた。
「ちっちゃい頃からちゃちゃ丸を見てきた僕にも気づかなかった要素をかりんさんは一瞬で切り取ったのかなと思います。それが完全にマルというキャラクターのベースになりましたね。猫を主人公にしたのは、愛媛における僕の目線。圧倒的な部外者の僕が見て感動するものに、実は愛媛の人はピンときていないことが多くて。そんな価値を人間にとって部外者であるマルの目を通して書いていきたいという思いは強いですね」