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十人十色の日用品考。あの人が使っている食器と調理器具

作られる過程やストーリーに思いを馳せる人もいれば、機能やデザインをとことん追求する人も。生活に溶け込む日用品には、それを選び使っている人自身が滲むもの。人がものを語る以上に、ものは人を語ります。

photo: Keisuke Fukamizu, Mie Morimoto / text: Hikari Torisawa, Masae Wako

諏訪 敦さんの器

アトリエに置かれるのは、姿かたちと
エピソードに魅了された手のひらに収まる器。

井山三希子+猿山修の茶器など
(写真左から)井山三希子+猿山修の茶器。金沢切支丹遺物十字紋入草葉柄染付杯。重野克明の杯。伊万里の波千鳥紋様蕎麦猪口。濱中史朗の杯。満洲国皇帝来日記念の湯呑。内田鋼一の杯。仏ブルゴーニュのグラス。銀盆は東屋。

写実絵画で知られる諏訪敦さんは、昨夏から静物画への新しいアプローチを試みている。ならばアトリエに並ぶ器も絵のモチーフとして?

「いえ、酒器として使っています。18世紀フランスのワイングラスだけは何度か絵に登場していますけれど、これで酒も飲みますよ」

濱中史朗、内田鋼一や重野克明などの現代作家の作品、猿山修がデザインして井山三希子が焼いた茶器もあれば骨董もある。

「隠れキリシタンにまつわるものだと伝わる江戸期の器は染付に十字架が潜んでいて、真偽のほどは定かではないですが謎めいていてグッときます。明治期の伊万里は、はっきり言うと下手な絵付なんだけど、妙な饒舌さをたたえていて好ましい」

ワインを注いで飲み飲み、ズレた溝引きを眺めては年季奉公に出されたばかりの子が描いたのかな、と背景を想像してまた楽しむ。“満洲國皇帝陛下御来訪警備記念”と記された湯呑は、満洲のプロジェクトのために資料を探していたときに買い求めた。来歴も様々な器は、「手の中で決着するサイズだから邪魔にならない。一貫性のないコレクションですが、純粋に美的な部分に感動したりひっかかりを感じたりするものを集めてきた結果なのだと思います」。

ヒロシのアウトドアグッズ

シンプルで、機能性と耐久性が秀でている。
外は無論、家でも生きるアウトドアグッズ。

仕切りがなく、焼き目にロゴが入ることもない素朴な作りが気に入った〈バウルー〉のシングルトースター。自身のブランド〈NO.164〉の鉄板は、ソロキャンプ仕様のサイズとヘリの角度が肝。共に家でも外でもよく使い、よく育てる。

「キャンプ道具を使う高揚感があるというより、単純にものとして優れてる。だから家でも愛用するんです」

〈バウルー〉のホットサンドメーカーを手に語るのは“ソロキャンプ”がすっかり板についたヒロシさん。これまでトライ&エラーを繰り返し、愛用品を厳選してきたそう。そのもの選びにルールはありますか?

「一番はシンプルであること、ですかね。このホットサンドメーカーは4〜5年前にふらっと入ったキャンプ道具屋で見つけました。国内メーカーらしからぬレトロな外箱と、ぼてっとした、素朴だけど無駄のない鉄板のデザインがグッときて。使ってみると、パンが異常にうまく焼けるし、ハンバーグや餃子を調理するのにも重宝する。家のどのフライパンよりも優秀なんです」

鉄板には、主戦場となったキャンプの日々が色濃く表れているよう。

「あと大事にしてるのは“自分だけのもの”っていう感覚。オリジナルで鉄板を作ったりもしてるけど、既製品を使っているかぎり絶対に誰かとカブる。だから僕は、ものの劣化を楽しむようにしました。このホットサンドメーカーも、その気になればピカピカに磨けるんですけどね」
 シンプルなものだからこそ、自分だけの経年変化を楽しめる。

森本美絵さんの器

陶芸家の父と弟の手になる備前焼に、土産物。
日常の器が記憶と時間をたぐり寄せる。

(写真上)左の碗は中学時代から愛用する30年選手。中央は父、右は弟・森本仁の酒杯。じっくり焼き締める備前焼は割れにくい。
(写真下)松本民芸館、長谷川町子美術館、東京藝術大学大学美術館、消防博物館と、ポルトガル・マフラ国立宮殿で見つけた器。

陶芸家の父と弟を持ち、備前焼を長く日常使いしている森本美絵さん。「陶芸家の家というのはどこもそうかもしれませんが、実家で使っていたのは、父・森本英助の器を中心に焼き締めのものが多かったと思います。中学生の頃から愛用していて一緒に上京したご飯茶碗は、使い込んでいるためキラキラと輝いて、手馴染みもとてもいい。これでご飯を食べると落ち着きます。ビールを飲むにも、細かい泡が最後まで消えない備前焼のビアグラスがやっぱりおいしい。食器は日常で使い込む方なので、ハレの日の器ってほとんど持ち合わせていませんね」

引っ越しのたび連れ歩いた茶色い器には家族の時間が重ねられ、岡山で、東京で、生活の景色に溶け込む。「器に思い出を込めるようなところがあるのかもしれません。実家の器も旅先で訪れたミュージアムショップで買った器も、使ってみると、あの日は寒かった、あの人と一緒に行ったな、と紐づけられていた記憶が蘇る。それがまた楽しいんですよね」

鮮やかな印判や銅版転写の柄に、継ぎの跡やひびが走るものもある。「欠けたり割れたりするのは日用品の宿命だから、仕方ない。大事にしているつもりだけれど、器ってそういうものだと思っています」

山田英季の鍋

旅先で買った鍋でカレーやジャムを作るたび、
ネパールの路地裏やフリマ店主の顔が甦る。

旅先ではいつも鍋やボウルを買う。帰国後はその鍋で現地の料理を作ってみる、と、味の向こうに旅の記憶が甦り、またすぐ旅に出たくなる。「選ぶ時の決め手は現地感」と、旅好き料理人の山田英季さんは言う。日本で言うところのかっぱ橋みたいな道具街へ行くのが好き。バザールや金物屋も欠かせない。例えばネパールで見つけたのはアルミの鍋。

「人ごみの中で吸い込まれるように曲がった路地裏の店に鍋が山積みにされていて、これでカレーを作りたい! と路地を駆け戻り、友人にお金を借りて買い占めました。ネパールではどこの家でもキッチンがきれいで、ほかは野ざらしでも鍋と皿だけはピシッと整頓されていた。あれはどうしてだったんだろう」

イギリスの小学校で開かれるフリーマーケットでは銅のボウルを購入。「店主が“ウチのおばあちゃんがジャムを炊いてたんだけど、年もとっちゃったし誰かが使ってくれたら”と言うので、じゃあ僕が、と。おばあちゃんの味を勝手に継ぐつもりで今もジャムやアンコを炊いてます」

道具を育てる、とよく言うけれど、人もたぶん道具に育てられている。「一緒に年を重ねている気がして、たまに鍋を磨く時も磨きすぎず、年相応の表情にとどめておくんです」