先輩から引き継いだ味わいを忠実に守る
東京・青山の骨董通り沿いに、2000年に開業した〈デュヌ・ラルテ〉。店名の「類い稀なる」という言葉の意味を体現すべく、初代の井出則一さん、2代目の柴田知実さんなどの歴代シェフが情熱を注いで、ユニークなパンをつくり続けてきた。
また多くの才能も輩出しており、この店で6年間修業を積んだのが、東京・池尻大橋で〈TOLO PAN Tokyo〉を営む田中真司さん。今や〈365日〉など複数の店舗のオーナーである杉窪章匡さんも、以前はこちらでパティシエとシェフを務めていた。〈デュヌ・ラルテ〉は、パン業界の歴史に名を刻む店なのだ。
現在シェフを務めるのが本間哲也さん。他店にはないパンを提供すべく日々、努力を重ねている。
「その代表格は、やはりシェフが代々レシピを受け継いでつくってきたラルテです。私は他店での勤務経験もありますが、この形のクロワッサンは見たことがないですね」
本間さん曰く、生地分割の手前までの工程は他のクロワッサンと同じ。「通常のクロワッサンの場合は三角に分割してクルクルと巻いて成型しますが、ラルテの場合は長方形に分割して四つの角を合わせて成型します。クロワッサンの層を外に向けて焼成することで、外側がザクザクの食感に仕上がるんですよ」
「ラルテは先輩たちが英知を集めた結果生まれた、類い稀なるクロワッサンだと自負しています」と話す本間さん。名店の味わいは、いまも後輩の手で世に送り出され続けている。
スペシャリテ・ラルテは、苦境から生まれた
では、実際にラルテはどのような経緯でつくられたのか。その生みの親である〈TOLO PAN TOKYO〉研究員の田中真司さんに話を聞いた。田中さんは2003年から2009年の6年間、井出シェフ、柴田シェフのもとで修業に励んだ人だ。
「〈デュヌ・ラルテ〉という店名は“類い稀なる”という意味。普通のクロワッサンは焼けなかったんです。だから柴田シェフは『ビス』というねじの形に似た塩味のクロワッサンをつくっていましたし、私もシェフ時代の杉窪さんとの共同開発で『シリンドル』という円筒形のクロワッサンを焼いていました」
「2007年に表参道の〈GYRE〉がオープンして、そこへ〈デュヌ・ラルテ〉が出店することになったんです。忙しくなることが想定されたので、当時シェフだった杉窪さんと相談して、時短のために二次発酵をとらないクロワッサンをつくることになったんです。それがラルテでした」
通常のクロワッサンの形に成型すると、二次発酵で生地を膨らませなければ、中にしっかりと火が通り切らない。しかし四角に分割して生地の層を外に向ければ、その層がパイのように焼けてパリパリの食感に仕上がり、またクロワッサンの醍醐味ともいえる横の層のバターの風味も力強く香る。窮地を凌ぐために開発したレシピが、いまや〈デュヌ・ラルテ〉のスペシャリテに上り詰めたのだ。
ラルテは『デュヌラルテ』のスペシャリテゆえ、もちろん〈TOLO PAN TOKYO〉では提供していない。しかしパンオショコラにはレシピを応用していて、その成型と焼成を見れば、ラルテの独創性がわかると田中さんは話す。
ラルテの製法を生かした〈TOLO PAN TOKYO〉のパンオショコラは、パリパリを通り越したバリバリ食感が心地よく、これがバターとチョコレートの香味と合わさると、食べる手が止まらなくなる。一方、二次発酵を経て焼くクロワッサンは、薄い生地の層の中身の食感が秀逸。サイズも大きいため、これひとつでかなりの満足感がある。
「自分が生み出した商品が、今でも〈デュヌ・ラルテ〉で人気ナンバーワンというのは嬉しいですね」。そう言って、はにかむ田中さん。
「〈デュヌ・ラルテ〉での修業時代に初代シェフの井出さんが、クロワッサンを“パンの王様”と呼んでいました。そしてその王様の最大の魅力がバターの風味なのだ、とも。ラルテは一般的なクロワッサンのかたちをしていませんが、バターの風味を濃厚に感じられます。これはもう、クロワッサンでしかありえないんですよ」
師匠の言葉を胸に刻んで編み出した、類い稀なるクロワッサン。田中さんが生んだラルテは、これからも多くの人に愛され続けることだろう。