長く紛争が続くイスラエルとパレスチナから、若き演奏家たちを集めてオーケストラを結成する。そんな夢のような物語が実際に存在し、そこから着想を得た映画『クレッシェンド 音楽の架け橋』が今、世界中で話題を集めている。
タイトルの「クレッシェンド」とは、音楽用語で「だんだん強く」の意味。生まれ育った環境はもちろん、文化も宗教も全く異なる若者たちが、激しく衝突しながらやがて音楽を通じて芽生えた「共感」を、徐々に大きく強く広げていく。そこには現在、世界中で広がる対立や分断を懸念する、監督ドロール・ザハヴィからの「祈り」にも似たメッセージが込められているかのようだ。
旧ユーゴスラビアの内戦後、〈バルカン室内管弦楽団〉を設立し異なる民族を率いて活動してきた指揮者の柳澤寿男は、この映画をどう観たのだろうか。
ドロール・ザハヴィ監督と指揮者・柳澤寿男が語る
「音楽の力」とは。
柳澤寿男
映画を拝見しましたが、自分が経験してきたこととの共通点がたくさんあり感慨深いものがありました。
ドロール・ザハヴィ
ありがとうございます。柳澤さんの活動はもちろん存じ上げていますので、そうおっしゃっていただきとても光栄です。
柳澤
異なる民族が一緒に何かをする時、言葉には限界がある。それを「音楽」の力でどう乗り越えていくのか、真摯に向き合った作品ですね。
ザハヴィ
この映画はあくまでもフィクションですので、柳澤さんの体験と比較して語るのは気が引けます。が、おっしゃるように本作で描きたかったのは、「対立する2つの民族が、同じ目標に向かって力を合わせることができるのか?」ということ。その「鍵」として音楽を選んだのは、やはり音楽の力を私自身も信じていたからです。
「分断の世界」に一石を投じたい。
柳澤
主人公レイラ(サブリナ・アマーリ)が、危険地帯をかいくぐってオーディションを受けにいくシーンも心を打たれました。バルカン室内管弦楽団にも、ボスニア紛争のさなか家族の反対を押し切り、銃弾を避けながらリハーサルに通っていたバイオリニストがいるんです。どんなに過酷な状況下ででも、「音楽をやりたい」という意志は変わらないのですよね。
ザハヴィ
レイラが楽団に入ろうとするのは、自分たちの民族に対するリスペクトを獲得するための「闘い」でもあります。同じオーケストラのメンバーでも裕福な家庭で育ち、もっと純粋に音楽を楽しんでいるイスラエル出身のロン(ダニエル・ドンスコイ)とは、立場も動機もまるで違う。だからこそ様々なドラマが生まれるのですよね。
柳澤
合奏は演奏のクオリティがないと成り立たないもの。となると、どうしても文化や技術が進んでいる地域で育った人の方が有利になってしまう。しかしながら、映画の中で指揮者のエドゥアルト・スポルク(ペーター・シモニシェック)は、音楽的素養のあるロンではなく、あえてレイラをコンサートマスターに起用する。ここも非常に重要なシーンだと思いました。
ザハヴィ
鋭い指摘です。スポルクは音楽的なスキルとは別の部分で、レイラに内在するリーダーとしての資質を見抜くわけですが、私はそれを、世界に向け「一つのヒント」として提示したかった。というのも、今世界中で広がっている不寛容や分断の流れに一石を投じたい気持ちがあったからです。
ダイバーシティやインクルージョンが声高に唱えられているにもかかわらず、その逆の現象が起きていることの理由として、似たような思想の人たち同士で閉鎖的な集団を形成していることが挙げられる。そういった状況で、私たちはどうしたらお互いに理解し合えるのか。そんな問題提起をスポルクの行動に込めたつもりです。
柳澤
モーリス・ラヴェルの「ボレロ」を、とあるシーンで使っていたのも印象的でした。「ボレロ」は最初に主旋律を一人が演奏し、曲が進むにつれて演奏者がどんどん増えて最後は大合奏となる。それが世界の共存共栄を願う監督からのメッセージのようにも感じられ、観る人に深い感動を与えてくれます。
ザハヴィ
「ボレロ」を選んだ私の意図を的確に汲んでくださって感謝します。世界には様々な問題が山積みで、この映画も決してハッピーエンドではありません。それでも音楽が、イスラエルとパレスチナという暗くて深い溝に灯る一つの光になるのではないか、そんなささやかな希望を込めました。この映画をご覧になった人たちも、たとえ絶望の中にあっても希望を見出すことの大切さについて、考えていただけたら幸いです。