『先生の白い嘘』鳥飼 茜
登場人物、全員当事者。
それは現実でも同じこと。
登場人物の誰か一人にでも感情移入すると、胸がかきむしられる作品ですよね。でも、感情移入して読むことにこそ意味がある。
主人公の高校教師・美鈴は友人・美奈子の彼氏・早藤にレイプされ、その後も関係を強要されています。暴力と恐怖にさらされ、美鈴の心はズタズタに傷ついている。僕は、性と向き合うための活動をしていて、性暴力被害者の方から相談を受けたりもするのですが、心と体は密接に関係し合い、表裏一体だと考えています。どちらかが深く傷つくことでバランスが狂い、2つが乖離していく。例えば、「頭ではわかっていても、体が動かない」というような状態もそうです。美鈴は性暴力の被害者ですが、早藤の暴力的なセックスに感じてしまうこともあれば、自慰だってする。そんな自分自身を許せず、美鈴はますます苦しんでいきます。
美鈴は自分が“幸せになっていいはずがない”と苦しみ、無力感を感じていました。でも、僕は彼女が本当の絶望を味わい心が折れる手前で、なんとか踏みとどまっているのではないかと感じたんです。現在の美鈴は孤独ですが、漫画には描かれていないものの、幼い頃に家族に愛されて育てられ、美鈴の根底に自己肯定感があったと思う。そして、どこかで自分を信じたいというかけらが残っていたから、思考停止せずに済んだのでは、と。一方で、加害者の早藤には、その部分が欠落している。このあたりの設定がズルいというか、うまいな、と唸らされます。
物語が動きだす大きな鍵となるのは、美鈴と男子生徒・新妻の出会いです。彼もまた性被害者で、バイト先の店長の妻に無理やりラブホテルに連れ込まれレイプされたことで女性の体に恐怖感を抱くようになってしまった。男性被害者を描いた作品自体が貴重なのですが、この漫画は、男性性に縛られた男の弱さにも触れています。セックスに関していえば、男には挿入・射精のプレッシャーが常にのしかかっています。男性は男性主導の価値観から解放されるべきだし、解放されなければ、いつまでたっても女性が性の主導権を握れないということでもあるんです。
僕の持論に、“人は生まれた時から孤独であり、どう克服するかが生きていくうえでの大きなテーマだ”というものがあります。克服の方法はいろいろありますが、特にセックスは孤独を克服したような実感を強く得ることができる。でも、それってほんの一瞬なんですよ。僕がAV男優として9000人以上とセックスをして辿り着いた結論は、行為自体に意味や価値を見出さない、ということ。
承認欲求を得ようとしても満たされることはなく、愛にも辿り着けません。相手と向き合ってセックスするには、自分が孤独であることを自覚し、自分の不器用さや弱さを受け入れること。それができて初めて自立でき、相手と対等につながれる。作中、ある登場人物が「女が本当に怒る時はひとりで怒るのが一番強いんだよ」と言っています。これはつまり、孤独を認めるということなのではないでしょうか。精神的に自立することで、初めて怒り、戦うことができる。
人は、性にまつわることに限らず、多くの傷を受けながら生きています。セックスは一瞬のまやかしではありますが、たとえまやかしでも自己肯定感や孤独を克服できるような温もりを実感したことがあるかどうかで、その後の人生も違ってくると思うんです。僕自身は、セックスで負った傷をセックスで癒やすことができました。果たして登場人物たちは孤独を受け止めて前へと踏み出すことができるのか?ぜひその目で確かめてみてください。
コミックス7巻のカバーに、作者からのコメントで「物語は終わりますが、現実は続きます」とあります。10年後の彼らがどうなっているかわかりませんが、性によって受けた傷を性によって癒やせたなら、別の人と出会っても、依存や束縛にならないセックスができるようになっていると思うんです。
性暴力には被害者と加害者がいますが、2人だけの問題として完結はしません。この作品でも友人、クラスメイト、学校など多くの関わりがあり、誰もが何らかの形で当事者になっている。だからこそ、登場人物の誰かに感情移入しながら読んでほしい。実際に他人事ではないからです。そのことに気づき、揺さぶられ、目を向けざるを得なくなる。この点に、この漫画の危険さがあるのではないでしょうか。
『Gのサムライ』田中圭一
たくましすぎる想像力と“DTパワー”が炸裂。
田中圭一といえば、今ではすっかり『うつヌケ』の人となったが、マンガの神様・手塚治虫の下ネタパロディに代表される、お下劣ギャグ漫画の巨匠であることには変わりがない。そんな作者が満を持して送り出したこの一冊、安定のゲスっぷりである上に、破壊力がこれでもかと増しているのだ。
主人公は女性経験のないまま島流しに遭った武士・品場諸朝と貴族・腹上院魔手麻呂の2人。いつかは童貞喪失と夢見つつ、せめて擬似的な玉門を体験しようと、飽くなき追求を続ける物語。絶海の孤島という厳しい(?)環境下で、妄想力と想像力を駆使しては、無駄に“白濁の溶岩”を撒き散らす日々……。期待が高まりすぎると、実際に経験した際に「思ったほどでなかった」とがっかりすることは少なくないが、彼らはもはや本物の玉門を凌駕する快感を得ているのでは?と邪推したくなるほど精をほとばしらせる。命の輝きまぶしい名作だが、下ネタNGの人にうっかり貸すと、危険なことになるかも。
『血の轍』押見修造
きれいなお母さんは好きですか?
母の歪な愛情。
友達とふざけながら登校し、気になっているクラスメイトの女子とのやりとりに胸を高ぶらせる。地方に暮らす中学2年生の清一の夏は、ありふれた日常のワンシーンに見える。ただ一つ、母・静子のねっとりとまとわりつくような愛情を除いては。
淡々と流れゆく日々を、濃密に描き込まれたコマと、登場人物のセリフだけで追っていく。
ナレーションや登場人物の心理描写が一切ないため、他者のリアルな営みを覗き見しているかのような生々しさがある。それだけに、静子の異様なまでの若さと美しさが際立ち、違和感が静かに増幅される。それでも息子への愛情表現が過剰なだけかと思いきや、夏休みのある日、彼女の狂気が剥き出しになって清一と読者に襲いかかる。
静子の偏愛はどう暴走していくのか。単なる「毒親もの」とも言い難い、母と息子の歪な関係性から目が離せない。
『あげくの果てのカノン』米代 恭
崩壊した世界の偏執的な恋。
それを異様と断罪できるのか。
異星生物を駆除する戦闘員にして国民的英雄である境先輩は、かのんにとって長年の片思いの相手で、既婚者。戦闘で重傷を負っても「修繕」で回復できるが、そのたび好みや性格が変容する先輩にとって、変わらぬ愛情を注ぐかのんが欠かせない存在となっていく。矛盾に満ち、複雑だからこそ人は理性とは裏腹に恋に落ち、振り回されてしまうのかもしれない。
『破戒』山本直樹 作画、松尾スズキ 原案
復刻した異色のコラボ作、
エロと暴力に翻弄される快感。
松尾スズキが映画の脚本として書いたものを、「漫画にしたら面白いのでは?」と思い立ち、山本直樹が作画した異色作。経営不安定な父の会社を引き継ぎ、落語しか趣味のないカズシの日常が、奔放な女・ミツコの登場によりあらゆる出来事がダイナミックにうごめきだす。山本直樹ならではの艶めかしさと、怒濤の展開に翻弄される心地よさにどっぷりと浸りたい。
『ルポルタージュ』売野機子
面倒な恋愛を“飛ばす”未来、
恋愛の根源的な意味を探す。
ネットで最適なパートナーを見つけるのが主流となった日本。その象徴的な場所を襲ったテロ事件を追う新聞記者の女性が、関係者の一人と恋に落ちる。恋愛が煩わしいとする近未来の価値観は現在と地続きであり、その先にあるものを模索するストーリーはどう動いてゆくのか。恋をする人、しない人、すべての人に疑問を投げかけると同時に、救いをもたらす作品。