いま改めてバリスタの意味を知る
街のカフェでおいしい一杯をサーブしてくれるバリスタは、すでに身近な存在。けれどトップバリスタともなれば、最前線を走るアスリートのような存在でもある。ワールドバリスタチャンピオンシップ(WBC)は、2000年に初開催されて以来、その頂点を決める大会であり続けている。
年に1度、各国の大会で優勝して1名ずつ選ばれた代表選手が、世界大会に集結。エスプレッソ、ミルクビバレッジ、シグネチャーという3種類のドリンク4杯ずつを審査員に提供し、そのクオリティや技術、プレゼンテーションの完成度などが総合的に評価され、順位が決まる。
世界チャンピオンとなれば、その国はもちろん多くの産地や消費国に招かれ、プロ・アマ相手にレクチャー、企業へのコンサル、商品プロデュースなどを手がけて、業界に大きな影響を与えている例も数多い。

今回、本誌はそんな世界チャンピオン2人にインタビューを実施した。その一人、23年チャンピオンであるブラジル代表のボラン・ジュリオ・ウムさんは、こう語る。
「今日のバリスタは単にコーヒーを淹れて提供するだけの存在ではありません。ワインのソムリエのように商品、技術、そして顧客サービスに関する幅広い知識を持つべき。だからこそWBCはバリスタという職業を見事に表現し、披露する頂点だと考えています」

大会の黎明期である2000年代からしばらくは欧米勢が上位を占めることが多かった。しかし14年に井崎英典がアジア勢として初優勝。その後アジア・オセアニア勢の躍進が始まる。
15年にはオーストラリアのササ・セスティック、16年に台湾のバーグ・ウー、19年に韓国のチョン・ジュヨン、22年にオーストラリアのアンソニー・ダグラス、24年にインドネシアのミカエル・ジャシンが続く。

24年はファイナルに残った上位7人のうち5人がアジア・オセアニア勢となった。これは欧米中心だったシーンが、よりグローバルに広がっているということでもある。19年のチャンピオンである韓国・釜山(プサン)〈Momos Coffee〉所属のチョン・ジュヨンさんはWBCをこう評する。
「世界中のトップバリスタが集まる場でもあるので、ほかの国のコーヒー文化が学べます。さまざまな分野の方々と出会ってコミュニケーションできるチャンスが生まれたのが、個人的には一番大きいメリットだと思っています。また、バリスタは“演出家”。一つのミュージカルや演劇の舞台を作るように、一杯のための演出が必要になります。コーヒーについての知的好奇心を刺激するようなプレゼンテーションをしなければならないんです」

また近年、WBC以外の部門で注目の一つは、ワールドブリュワーズカップ(WBrC)。ハンドドリップなどマシンを使わない抽出の技術を競う。
16年に〈フィロコフィア〉の粕谷哲がアジア人として初優勝、18年には、スイス・チューリッヒ〈MAME〉の深堀絵美が優勝し、21年は、〈ビスポーク・コーヒー・ロースターズ〉の畠山大輝も準優勝するなど、こちらでもアジア・オセアニア勢が続々と活躍する。

いまやカフェでバリスタが生産者や豆の特徴、フレーバーを客に向き合って丁寧に説明するのは見慣れた光景。でも、大元を辿ればその型は、バリスタがプレゼンテーションを工夫し合う大会が作った、とも言える。プロが豆を挽き、抽出するために使うさまざまなツールも、F1の技術が市販車に応用されるように、まず世界大会で使用されたのち、街場のカフェに実装される、という流れがある。
もちろん、豆も同じ。品種や産地にも流行があり、近年ではプロセス(=精製)が注目され、さまざまな発酵を用いた豆が披露されている。また、レギュレーションの変更によって牛乳だけでなく植物性ミルクの使用が認められるようになり、オーツミルク、ココナッツミルクなどが多用されている。こうした実験の先で、また街のカフェでメニューに加わるような、新たなアイデアが生まれるかもしれない。
毎年、ジャパン バリスタ チャンピオンシップ(JBC)の出場者には、街のショップに所属するバリスタたちが名前を連ねる。彼ら全員が日本トップを争うレベルにはないかもしれない。しかし大会では、順位だけでなくスコアシートが各出場者に公開される。自己評価と他者からの評価はなかなか一致しないものだが、大会に出れば審査員から客観的な評価が得られて、このフィードバックが自身を成長させる大きな材料となる。
また、自分の一杯の質を高めるため、使う豆をより深く学び、掘り下げ、技術を磨き続けることになる。その無数の改善と積み重ねがシーン全体の向上に寄与してきたのは間違いないだろう。普段、街でコーヒーを飲むとき、それを意識することはないかもしれない。でも、私たちがなにげなく口にする一杯にも、WBCという舞台は確実につながっているのだ。