膨大すぎる山下達郎のCMワークス、その(ほんの)一部。
70年代のCM作家としての作品から、80年代以降のタイアップ曲、新作『SOFTLY』の収録曲まで。各年代を代表するCM曲を、駆け足で振り返る。
その歌声が響けば、神様すら降りてくる
「CMは出だしのキーフレーズで勝負が決まるのですが、その大事さ、その作り方を達郎さんはよく知っているんです。『湾岸スキーヤー』の打ち合わせで“中島信也、どういうのやりたい?”と問われて、なんとなく“フィラデルフィアですかね”と答えただけなのに“スプリング、サマー、オータム&ウインター&スノー。湾岸スキーヤー”という頭のフレーズとあのメロディを頂戴した時には、さすがやな、この勝負、これで勝ったと思いました」
そう語る中島さんは、1993年の「湾岸スキーヤー」(ららぽーとスキードームSSAWS CM曲)、96年の「ドーナツ・ソング」(ミスタードーナツCM曲)や、アルバム『COZY』のミュージックビデオでディレクターを務めてきた古くからの友人だ。
大瀧詠一、そして山下達郎。CM音楽に新しい波が立つ
1950年代に最初の民間放送ラジオ局が誕生して以来、日本のCMソングは三木鶏郎に代表されるCM音楽作曲家と作詞家がその歴史を作ってきたのだが、その流れは、大瀧詠一の「CIDER '73」の登場で大きく変わることとなった。
70年代半ばに、はっぴいえんどを解散したばかりの大瀧詠一は、その溢れるポップミュージックの才能を、自身のアルバム制作ではなく、CMソングに注ぎ込み、「CIDER '73」「CIDER '74」のレコード化も追い求めていたという。
ポップスのミュージシャンが、情熱を込めてCM音楽に取り組む試みが始まり、山下達郎も74年にはシュガー・ベイブの活動と並んでCMワークをスタート。76年には大瀧詠一に代わって一人アカペラ(日本初?)で「CIDER '76」を担当することとなる。
「CM音楽がなかったら、音楽活動を続けられなかったと思う」と語っている山下達郎。74年以降、今日まで作り上げたCM音楽は優に100曲は超えている、まさに日本を代表するCM音楽家でもあるのだ。その理由を中島さんはこう語る。
「作曲家の作った歌を、歌手が歌っているのでは決して出てこない歌のチカラが達郎さんにはあり、伸びのある声がCM全体のチカラになっています。もはや声質がブランドなんです。サントリービールのCMソングになった『LOVELAND, ISLAND』では、最後に“サントリービール”という歌い込みが入りますが、それを聴くとあの声での歌い込みのすごさに驚きましたし、あの声だからこそ『高気圧ガール』で、達郎さん自身に夏のイメージがあったりしたんだと思います」
制作現場での山下達郎の言葉も、印象に残っている。
「映像制作のスタジオにも何度か来ていただきましたが、私がデジタルでの絵作りをエンジニアと延々と進めていると“自分と同じことを、中島信也は絵でやってるんだ”と。ほかの人が見たり聞いたりしても簡単にはわからないようなところにこだわって、地道に小さな作業を重ねていくのですが、それを達郎さんは音作りで行っているんです。その作業はたくさんの人の心を動かすためには、絶対に必要なことです」
15秒、30秒というCMの世界。その制約の中で、最高のセンスと最高の音楽を実現する醍醐味が、音楽への飽くなき探求心ゆえに、膨大なCM音楽リストを持つ音楽家を誕生させたのだろう。
日本のCM音楽に山下が与えた影響はどんなことだろうか。
「やはり88年の『クリスマス・イブ』(JR東海クリスマス・エクスプレスCM曲)を作ったことですね。CM商品と映像、そして音楽が一体になっているだけでなく、そこにいろいろな出会いやタイミングが重なり、まさに響く声に神様が降りてきたかのように、CMというより何か日本の宝物となり、時代を超える作品が誕生した。そんなCMソングが存在するということが本当にすごいことです」
CMオリジナル作品を聴くには?
山下達郎が手がけたCMオリジナル作品の一部は『山下達郎CM全集 Vol.1』(1枚目)と『山下達郎CM全集 Vol.2』(2枚目)に収録。どちらもオフィシャルサイトから購入できる。山下本人の詳細なライナーノーツ付き。
記事で紹介した1978年までのCM曲もすべて収録されている。もっとCM作品を知りたくなったら、必聴だ。『Vol.1』は1,700円、『Vol.2』は1,800円(共に送料込み)。詳細は山下達郎オフィシャルサイト(www.tatsuro.co.jp/)へ。