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掃除をはじめる。習慣づけるための僧侶・松本紹圭さんの教え

おだやかな気持ちで毎日を過ごすための生活習慣や趣味。やってみたい、やらなければ、と思いながら、先延ばしにしていることが誰しもあるはず。気構えず、楽しい入口を知って、心が喜ぶ豊かな暮らしをはじめよう。

Photo: Satoko Imazu / Text: Asuka Ochi

教えてくれた人:松本紹圭(僧侶)

終わりのなさと戯れる。

なぜにこれほど、重い腰が上がらないのだろう。きれいな部屋ですっきり暮らしたい思いと裏腹に、先延ばしにしがちなのが掃除である。そこには多くの学びがあるという松本紹圭さん。

「100%完璧にきれいになれば気持ちがいいと感じるかもしれませんが、掃除って本来は終わりがないもの。終わったと思った瞬間に、上から落ち葉が降ってくる。はじまりも終わりもない、運動でしかないんです」

それは仏教の「中道」の教えに等しく、執着を手放すプラクティスでもあるという。

「中道では極端を選ばず、真ん中を行けと教えています。でも、両極端もわからないところで真ん中を行き続けるなんて、案外難しいことですよね。人生は諸行無常と言いますが、それは自分自身が揺れ動き、世界が変わり続けるなかで、玉乗りのようにちょうどいい真ん中を探し続ける終わりのない営みなんです」

掃除の習慣を通して、はじまりや終わり、不十分さや完璧さといった極端への執着は自然と解かれて、程よく中道が保たれるようになる。

「完璧主義な人ほど、オンとオフ、スタートとゴールがあって、やり遂げるという発想が出てくる。そうではなく、庭を掃きながら、今日は風の匂いが違うなとか、落ち葉の色が美しいとかいう変化を感じながら、果てしない終わりのなさと戯れるんです。絶え間のない流れのなかに投げ出されていると思って掃除をする行為というのは、結構クリエイティブな気がしますね」

とはいえ、どうしても後回しにしようとするサボり心を、どう掃除に向かわせるのか。

「部屋が汚いのが気になっているということは、それだけマインドシェアを奪われているということ。気にかかっていることで、繰り返しダメージを受け続けるんです。部屋のためでなく、その心の引っ掛かりをなくすために掃除をする。きちっと掃除のスケジュールを決めるなど、枠組みにはめ込んで苦しんでいる人は多いですが、臨機応変にしなやかに。思い立った時にやる柔軟さも大切だと思います」

東京神谷町〈光明寺〉僧侶・松本紹圭

掃除を習慣づけるための松本さんの教え。

1:終わりがあると思ってはじめない。

2:移ろいゆく季節を楽しむ。

3:完璧を求めない。